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見ながら胸が熱くなる。こんなにも必死に自分の人生を生きて、未来を切り開いていく女性がいるということに。彼女の困難に立ち向かう姿は誰もを魅了する。もちろん僕たちは彼女のような才能はない。つまらない凡人だから何一つものにできない。自信もないし、才能もない。それでころか、僕は最近では物忘れがひどく、記憶力はどんどん減退して「認知症だよ、」と冗談にすらならないことを言う始末だ。人生の晩年に差し掛かり、新しいことはもう何もしたくないし、すぐ疲れるし、文章を書く気もないし。書く力もなくなってきた。そんな僕がこの映画を見て、泣いている。
これだけの力があるというのに、女性だというだけで、差別され、自分の能力を発揮できないまま、人生を無為に過ごすことになる。いや、無為に、というのは違う。彼女は若くして結婚をし、子供を産み、育てながら、自分のやりたいことをやり遂げようとして奮闘する。彼女を支える素敵な夫にも恵まれ。でも、彼女は弁護士にはなれない。誰も彼女を雇わないからだ。ハーバードを首席で卒業したにも関わらず、である。理由ははっきりしている。彼女が女だから。それだけ。1960年代という時代が彼女の夢を阻む。
だけど、映画はそこからスタートして彼女が戦う姿を最後まで追いかける。監督は同じ女性であるミミ・レダー。一時はどんどんメジャー大作映画を中心にして新作が公開されていたのに、しばらくは音沙汰がなかった。これは久しぶりの新作だ。しかもエンタメ大作ではなく、実話をベースにした人間ドラマだ。これが本当にやりたかった映画なのだろう。彼女もまた、ようやくここにたどりついたのだろう。
男性に介護手当を、というこの映画が扱う裁判は、皮肉でも何でもない。女性差別に苦しめられた彼女が同じように差別される男性を救う。そしてその勝利が彼女の未来ではなく、年老いた母親の介護で苦しむ虐げられた独身男性の未来を、さらには彼女の娘のための未来を、そして、もっと大きな意味でのみんなの未来を切り開くことになる。
前半戦のハイライト、生存率5%と言われた病気にかかる夫を介護しながらそれを乗り越えるエピソードからスタートして、先に書いた裁判の勝利を描くラストまで、2時間、ずっとスクリーンから目が離せなかった。映画を見ながらこんなにも興奮したのは久しぶりのことだ。『ブラック・クランズマン』や『運び屋』『まく子』と凄い映画を3月は見たけど、4月に初めにこの映画と出会えてよかった。これでいい新学期のスタートが切れそうだ。