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映画・演劇のレビュー

流星倶楽部『ドロップス』

2007-12-06 22:32:54 | 演劇
 大きな樹のうろで眠る少年。彼のところにやって来た女。道に迷い、山の中を彷徨った末にここに辿り着いた。偶然出遭ったふたり。

 さっき「少年」と書いたが、それは嘘だ。ただ、震えて眠る彼女(吉岡亜紀子)が、僕には少年に見えたから。誰も彼女を守ってくれる者はいない。ただひとり、ここで死んでゆくのを静かに待ち続けている彼女の怯える姿を見た時、この芝居の方向性がしっかり見えてきたような気がした。

 実は大人の女性で、彼女は、死ぬためにここにやって来て、ずっとここで待っていた。誰かが、(それが夫だったらいい)助けに来てくれることを。世界から拒絶されてしまったこの女が、偶然出遭った女(小栗一紅)に少しずつ心を開いていくようになる。この女もまた、同じようにこの世界に絶望していた。夫と子供を亡くし、それでも、ひとり生きている。

 死を見つめるとき、人は、何を思い、感じるのか。この芝居がハート・ウォーミングなお話になることは見えているが、単純な甘いお話ではない。ある種の予定調和を踏まえた上で、二人の追い詰められた女たちを、きちんと見つめ、彼女たちの想いをどこに帰着させることが出来るのか、それがこの芝居の眼目だ。それは、ただの心温まるお話ではない。

 これはとても小さな芝居である。しかも、閉ざされた空間のなかで、それを見せる。お話自体の意外性で引っ張っていくストーリー主体の芝居ではない。2人の気持ちがいかに歩み寄っていくのか、ではなく、まず状況を丁寧に見せていくことが大事で、結果として、そこに辿り着く。ひとりひとりがここにはいる。自分の思いを秘めたままで。

 夕暮れから、夜明けまで。攻撃的で高飛車な女。心に深い傷を抱えたまま静かに生きる女。それぞれの痛みを、言葉にすることで客観的に捉えなおしていく姿を描く。声高に何かを訴えようとはしない。ただ静かに言葉にする。

 暗幕と布を有効に使ったシンプルで美しい美術は、この森の闇の中にある大木を確かなものとして見せてくれる。2人がここに寄り添い、ここは二人を守ってくれると同時に、ここは彼女たちを恐怖に誘いこむ、この世界の一部に過ぎないことも見事に表現する。拠りどころのない不安の中で、2人は出遭い、彼女たちが、もう1度、希望を抱くまでがここに描かれていく。

 タイトルの「ドロップス」がこの世界の唯一の希望として、2人に提示される。死んでしまった息子と夫自身でもあるドロップを2人が分け合う。小栗さんの女はドロップを缶ごと吉岡さんに預ける。彼女は最初このドロップの缶には死んだ人の骨が入っていると言う。それはあながち嘘ではない。一粒のドロップが命を繋ぎとめる。

 とても控えめな音響、照明、美術、そして演出が、ひとつの方向に向かって伸びていく。彼らの信頼の絆がこの芝居を作り上げた。たったひとつの光の先に向かって、小栗さんが足を踏み出すラストシーンが美しい。

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