『三国志』の<赤壁の戦い>の映画化。ジョン・ウーが前後半計5時間の大作として『三国志』前半のエポックであるこのエピソードを壮大なスケールで映像化してみせる渾身の超大作。今回のPart1は開戦前夜までで、だから本当の戦いは次の後半で描かれる。だが、そんなこと関係ない。これだけを見てもこの作品の気魄は十二分に伝わる。
制作費100億円なんていうことが売りになっているが、ハリウッドの大作ならそのくらいの映画は五万とある。大事なことはもちろん、そんなところにはない。
CGだけでなく凄まじいモブシーン、マスゲームを人海戦術でみせる。中国映画ならではのパワーで押し切る。これはペラペラのCG映画ではない。気が遠くなるような準備のもと、無尽蔵に惜しみなくお金をつぎ込んで、不可能を可能にした。
もちろんこれはただのスペクタクルではない。男たちの友情と知力の限りを尽くした戦いを見せる人間ドラマだ。力と力がぶつかり合い、砕け散る。講談調の血沸き肉踊るお話をスタイリッシュな映像で(まぁ、いささかステレオタイプだけれど)充分に納得の行く人間ドラマとして見せる。冒頭の趙雲の活躍を描くエピソードから一気に作品世界に引き込まれる。
そのへんはジョン・ウーである。抜け目ない。かって『男たちの挽歌』シリーズで散々やり尽くしてきたことだ。今回も主人公の金城武とトニー・レオンを中心にして、ひとりひとりのキャラクターが際立つように見せ場満載で綴っていくのも彼らしい。派手なアクションシーンと静かなシーンをうまくバランスよく配しているのも心憎い。
単純にストーリーだけを追いかけていくのでは、ただの原作のダイジェストになってしまう。それだけは避けたかったのだろう。話を端折るのではなくしっかりディテールも大事にしていく。正直言って5時間でも欲を言ったら収まらないところだろう。先日、マキノ雅彦監督が『次郎長三国志』を映画化した時、そのへんで失敗していたのも記憶に新しい。魅力的なキャラクターをきちんと立てていくためにはストーリーだけを追っても無理だ。かといってあまりモタモタしていてもよくない。限られた時間内ですべてを見せるなんて不可能なのだ。短いエピソードを通してどれほど深く個々の人物像を鮮明に見せ切るか、そこに尽きる。
しかも、それを会話劇としてではなく、アクションの中で見せなくてはならない。とんでもなく困難な作業だ。それをジョン・ウーは成し遂げる。不可能を可能にするためには手段を選んでいる暇はない。自分がこれまで培ってきたすべてをこの1本の中に惜しみなく投入する。そのなりふり構わない姿勢によって初めて可能になった。奇跡の映像である。
中途半端な映画には出来ない。一切妥協のない細心の注意を払った大胆な映画。それがこの大作である。だが、ここにはそんな悲壮感はない。そこも素晴らしい。すべてをやり尽くした。だから悔いはない。そう言い切れるなんてなかなかないことだろう。どんなに凄いことをしたとしても幾許かの後悔が残るものだ。だが、ここにはそんなものは感じられない。(もちろん、本人に聞いたわけではないから断言は出来ないが)
80万の曹操の大軍を迎え撃つ周瑜たち呉、蜀の連合軍の心境はすべてをやり尽くしたジョン・ウーの思いに重なる。これはジョン・ウーというひとりの男が命を賭けた生涯の映画である。
さぁ、戦いはここから始まる。来年4月の第2部の公開が待ちきれない。
制作費100億円なんていうことが売りになっているが、ハリウッドの大作ならそのくらいの映画は五万とある。大事なことはもちろん、そんなところにはない。
CGだけでなく凄まじいモブシーン、マスゲームを人海戦術でみせる。中国映画ならではのパワーで押し切る。これはペラペラのCG映画ではない。気が遠くなるような準備のもと、無尽蔵に惜しみなくお金をつぎ込んで、不可能を可能にした。
もちろんこれはただのスペクタクルではない。男たちの友情と知力の限りを尽くした戦いを見せる人間ドラマだ。力と力がぶつかり合い、砕け散る。講談調の血沸き肉踊るお話をスタイリッシュな映像で(まぁ、いささかステレオタイプだけれど)充分に納得の行く人間ドラマとして見せる。冒頭の趙雲の活躍を描くエピソードから一気に作品世界に引き込まれる。
そのへんはジョン・ウーである。抜け目ない。かって『男たちの挽歌』シリーズで散々やり尽くしてきたことだ。今回も主人公の金城武とトニー・レオンを中心にして、ひとりひとりのキャラクターが際立つように見せ場満載で綴っていくのも彼らしい。派手なアクションシーンと静かなシーンをうまくバランスよく配しているのも心憎い。
単純にストーリーだけを追いかけていくのでは、ただの原作のダイジェストになってしまう。それだけは避けたかったのだろう。話を端折るのではなくしっかりディテールも大事にしていく。正直言って5時間でも欲を言ったら収まらないところだろう。先日、マキノ雅彦監督が『次郎長三国志』を映画化した時、そのへんで失敗していたのも記憶に新しい。魅力的なキャラクターをきちんと立てていくためにはストーリーだけを追っても無理だ。かといってあまりモタモタしていてもよくない。限られた時間内ですべてを見せるなんて不可能なのだ。短いエピソードを通してどれほど深く個々の人物像を鮮明に見せ切るか、そこに尽きる。
しかも、それを会話劇としてではなく、アクションの中で見せなくてはならない。とんでもなく困難な作業だ。それをジョン・ウーは成し遂げる。不可能を可能にするためには手段を選んでいる暇はない。自分がこれまで培ってきたすべてをこの1本の中に惜しみなく投入する。そのなりふり構わない姿勢によって初めて可能になった。奇跡の映像である。
中途半端な映画には出来ない。一切妥協のない細心の注意を払った大胆な映画。それがこの大作である。だが、ここにはそんな悲壮感はない。そこも素晴らしい。すべてをやり尽くした。だから悔いはない。そう言い切れるなんてなかなかないことだろう。どんなに凄いことをしたとしても幾許かの後悔が残るものだ。だが、ここにはそんなものは感じられない。(もちろん、本人に聞いたわけではないから断言は出来ないが)
80万の曹操の大軍を迎え撃つ周瑜たち呉、蜀の連合軍の心境はすべてをやり尽くしたジョン・ウーの思いに重なる。これはジョン・ウーというひとりの男が命を賭けた生涯の映画である。
さぁ、戦いはここから始まる。来年4月の第2部の公開が待ちきれない。