高校演劇の傑作戯曲に高校1年生を中心にしたメンバーで挑む学内公演。校内視聴覚室で一般公開しての上演だ。そしてこれは3年生の卒業公演でもある。この時期にこういう公演をするっていいなぁと思う。スケジュール的にはキツいと思うけど、先輩たちと最後の芝居を作り上げたことは必ず後輩たちにとって財産になる。春には新しい新入生を迎える。そのための自信にもなる。今度は彼らが先輩として後輩たちを指導する。これはそのための資金石にもなる重要な舞台なのである。
高校のクラブ活動が彼ら(僕ら,でもある)にとって重要だという事を改めて感じさせられた。実はこの3学期から春まで、長尾高校で働いている。だから、これは普段の芝居を見る感じとは少し違う。
そんな不思議感覚で舞台を見ることになった。身内の芝居を見る感じ。もちろんつまらないものはつまらないとちゃんと言う。そこに贔屓はない。ただこの気分がなんだか懐かしくて、少し感傷的になる。昔高校生だった時、校内視聴覚教室で芝居をした(見た)ことを思い出す。ひとつ後輩の大竹野正典が『マッチ売りの少女』という自作オリジナル戯曲を演劇部で上演した時だ。あれは身内の芝居だけど、とてもいい芝居だった、気がする。あの後、彼は芝居にハマって劇団を立ち上げる事になる。もう50年近く前の話だ。そして彼が亡くなってからもう10年以上の歳月が過ぎた。彼は働きながら、劇作家,演出家として市井で細々と芝居作りをしてきた。そんなことを思い出しながら、この初々しい芝居を楽しんだ。
7人の演者たちは自分の責務を全うする。主人公のひとりカンパネルラを演じる3年の中田優衣はしっかり主役のジョバンニを演じた嶋吉ほのかをフォローする。終盤に登場した小川翔大はコメディリリーフとしての役割をきちんと果たしながら芝居全体をまとめる。このふたりの3年が芝居全体を引き締めるから1年生キャストは生き生きと芝居ができる。見事なアンサンブルではないか。
宮澤賢治の世界を換骨奪胎するのではなく、きちんと翻案して再構成した台本はコンパクトでわかりやすく優しい。そんな小さな世界を作品化することで長尾高演劇部は新しい第一歩を踏み出す。いい芝居を見た。