『ミツバチのささやき』のアナ・トレントが、再びエリセの映画に帰ってくる。あの映画を初めて見た時の感動は忘れられない。少女とモンスター(あるいは負傷兵)の日々。幻想と現実。静かな時間が流れる。彼を少女は秘密の場所で匿う。映画を見た少女が現実の中で映画と出会う。
あれから50年。当時5歳の少女だったアナは今では50代の女性になっている。当然の話だが。そんな彼女がスクリーンに戻ってきてエリセの映画を見て、演じる。これは至宝の一作だ。
僕が『ミツバチのささやき』を見たのは85年の日本初公開時。梅田のコマシルバーだった気がする。『エルスール』もたぶん同時期に公開されている。こちらは三越劇場。間違いない。
この30年振りの新作はなんと3時間(2時間49分)に及ぶ長尺。こんな単純な内容でさすがにこれは長い。しかも最初スクリーンは顔のアップばかりで、その切り返しの連続には息がつまるし、息苦しい。しかし映画は気にすることもなく悠々たるタッチで話を進める。エリセは全く動じない。このスタイルを堅持する。最初は劇中劇、それは主人公(もちろんエリセの分身)である映画監督の2本目の映画だ。哀しみの王が娘と再会する前のシーン。それはラスト直前の父親との再会シーンに対応する。アナ・トレントは『ミツバチのささやき』のラストシーンと同じように「ソイ、アナ」と言う。(しかも2回)あそこで終わったら凄いなぁと思ったが、残念ながらまだ映画は続く。
その後の映画館で幻の未完の映画を見るシーンは気持ちはわかるが蛇足。だけどあれをどうしてもしたかった。ちゃんと王には娘と再会させて未完の映画を終わらせたかったのだ。
これは映画監督だった主人公の「私」が失踪した親友(アナの父親であり、主人公の映画の主演俳優)を探す話。22年の空白。彼は記憶を失くして老人介護施設で暮らしていた。施設長のシスターに助けられてここに住む。3年になる。
これはエリセがその人生(50年の監督人生で4本しか長編映画を作らなかった)の最後に作る映画。自由に心のままに作り上げた。もちろんまだ次回作はあるかもしれないが、処女作『ミツバチのささやき』と対になるようなこの映画は当然自らの最期を意識した作品である。未完の映画を見ることで、一歩を踏み出す人たちの姿を映画館で見せて映画は静かに幕を閉じる。魂のこもった傑作である。