2部作の前篇。出来ることなら一気に見たかったから、後篇の公開を待っていたが、何だか待ちきれなくなり、見に行ってしまった。成島出、渾身の力作。前編である本作はタイトルにもあるように『事件』が描かれる。後半の『裁判』に向けての助走でしかない。完全に独立した作品にはなっていない。お話の途中でいきなり終わるようになっている。ここまで、あからさまに何も描かれないまま1本の映画が終わっていいのか、と見ていて不安になるほどだ。続編が気になるというのとは違う。これではまるで、映画を見た気がしないのだ。映画の途中で断ち切られただけ。たとえば、先に公開された『寄生獣』の場合、あそこでとりあえず1本の作品として完結している。だから、見た、という気にさせれれる。だが、これはそうじゃない。
もちろん、だからダメだ、というのではない。4時間半の映画を途中で切られた。ただ、それだけ。早く次が見たいのはもちろんだが、ただのエンタメではないから、これだけで十分な満腹状態になる。重くて暗く、とても4時間半は耐えられないから、一息入れたくなるのが人情だろう。だが、それが1カ月というのは、少し空き過ぎ。来週くらいには見たい。そんな気分になる。これは公開の仕方が難しい。3月7日、4月11日というインターバルが妥当だとは思わない。でも、どうすればいいのか、いい案はない。それにそんなことを考えるのは僕の仕事ではない。ただ、はっきりしているのは、一挙公開では重すぎた、という事実だ。これはそんな映画である。
雪の朝、少年の死体が雪の中で埋もれているのを発見する。校舎から落ちて死んだしまったのだ。死因は飛び降り自殺だと警察は発表する。だが、果たして真実は。やがて学校に、目撃者からの告発状が届く。虐めによる殺人だと。
中学2年。1990年。事件から24年が過ぎた「今」から映画はスタートする。20数年前の空気が再現される。重くて暗いムードはこの映画の描く世界がそうだから、というわけではない。時代の空気のようなもの。だが、それはバブル崩壊後の時代を指すのでもない。だが、ここには確かに閉塞感が漂う。誰もが、真実に手が届かない。もどかしさを感じている。そんな想いを打破する。風穴を開けたいと望む。みんなは、世の中は、真実に蓋をして、忘れようとする。だから自分たちだけで裁判を起こすことになる。前篇はそこに至るまでを描く。
ここまで来ても、まだ映画は何も始っていない。だが、この2時間の緊張感はただ事ではない。ホラーのようなラスト(永作博美演じる虐めにあっていた少女の母親が凄い!)にも驚かされる。もちろん、これは裁判に至る前振りではない。次の後篇もどんどん広がっていくお話をただ収束させるだけの後半にもならないだろう。期待は高まるばかり。
もちろん、だからダメだ、というのではない。4時間半の映画を途中で切られた。ただ、それだけ。早く次が見たいのはもちろんだが、ただのエンタメではないから、これだけで十分な満腹状態になる。重くて暗く、とても4時間半は耐えられないから、一息入れたくなるのが人情だろう。だが、それが1カ月というのは、少し空き過ぎ。来週くらいには見たい。そんな気分になる。これは公開の仕方が難しい。3月7日、4月11日というインターバルが妥当だとは思わない。でも、どうすればいいのか、いい案はない。それにそんなことを考えるのは僕の仕事ではない。ただ、はっきりしているのは、一挙公開では重すぎた、という事実だ。これはそんな映画である。
雪の朝、少年の死体が雪の中で埋もれているのを発見する。校舎から落ちて死んだしまったのだ。死因は飛び降り自殺だと警察は発表する。だが、果たして真実は。やがて学校に、目撃者からの告発状が届く。虐めによる殺人だと。
中学2年。1990年。事件から24年が過ぎた「今」から映画はスタートする。20数年前の空気が再現される。重くて暗いムードはこの映画の描く世界がそうだから、というわけではない。時代の空気のようなもの。だが、それはバブル崩壊後の時代を指すのでもない。だが、ここには確かに閉塞感が漂う。誰もが、真実に手が届かない。もどかしさを感じている。そんな想いを打破する。風穴を開けたいと望む。みんなは、世の中は、真実に蓋をして、忘れようとする。だから自分たちだけで裁判を起こすことになる。前篇はそこに至るまでを描く。
ここまで来ても、まだ映画は何も始っていない。だが、この2時間の緊張感はただ事ではない。ホラーのようなラスト(永作博美演じる虐めにあっていた少女の母親が凄い!)にも驚かされる。もちろん、これは裁判に至る前振りではない。次の後篇もどんどん広がっていくお話をただ収束させるだけの後半にもならないだろう。期待は高まるばかり。