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映画・演劇のレビュー

『リンカーン』

2013-05-15 20:38:38 | 映画
 スピルバーグがこの映画に賭ける意気込みは十分に伝わってくるのだが、リンカーンという男の生きざまのほうが今一歩伝わらない。この状況の中で奴隷制度廃止法案を通すことがどれだけ大切なことなのかが分かりにくい。南北戦争終結の前に法案を通さなくてはいろんなことがうやむやになる。何が何でも譲れない地点をそこに設定し、映画もまた、その一点へと収斂していくように作られてある。だが、それを成し遂げるための権謀術数がすっきりしないし、そこにはカタルシスもない。映画が胸のすくような展開ではないのだ。

 アクションでも戦争映画でもないのだから当然のことだ。どちらかというとディスカッション劇である。そのせいで動きの少ない地味な映画になった。議会のシーンと、その根回しである駆け引きばかりが続く。単調だ。スリリングでもない。映画としては、ほとんど派手な見せ場のない室内劇で、こんなにも盛り上げないスピルバーグ映画は初めてではないか。

 2時間半の長尺で、娯楽色の薄い地味な映画で、へんに感動的に盛り上げることはなく、それどころか陰気。リンカーンも英雄というよりも、暗くて何を考えているのかよくわからないおっさんって感じだ。もちろん自分の信念に準じて、法改正に命を賭ける覚悟を持った偉大な政治家であることは、十分わかっているし、伝わる。信念の映画である。スピルバーグはここでは一切ぶれない。でも同じようにぶれないリンカーンはあまり魅力的には見えないのはどうしたことか。映画がリンカーンという男の内面を描かないからだ。だから彼に共感出来ない。立派な人であることはわかるけど、彼とともに映画の時間を生きられないのがつらい。

 ちょうど今、『光圀伝』を読み終えて、静かな感動に浸っていたところだっただけに、両者の落差がとても気になる。どちらも偉人伝ではない。アプローチはまるで違う。でも、同じように沖方丁もスピルバーグも信念を持ってひとりの男を描こうとしたという意味ではよく似ている。何をどう描くのか。それがどう伝わるのか。難しいところだ。ポイントを絞りすぎたスピルバーグと、すべてを描こうとした沖方丁。映画と小説の違いはあるけど、自分の方法論がちゃんとした結果につながるのは、困難だ。


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