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映画・演劇のレビュー

dracom 『 broiler's song 』(ブロイラーズ ソング)

2009-04-06 20:58:18 | 演劇
 いやぁ、驚いた。何に驚いたかというと、その客席数の少なさにである。四方囲み舞台なのだが(今回のルールね)各サイド平均10席しか椅子を用意していないのである。11席X2、9席X2、計40席。それなりに広い精華小劇場でこんなにも慎ましやかに椅子を並べるなんて、なんてことだろうか。せめて見栄を張って各サイド2列にして80席準備してもなんら罰は当たらない。客席には段差もあるから問題ない。なのに、そうはしない。上演直前に遅れてきた客のために5席ほど増やしたが、観客は結局40ちょうどくらい。芝居の内容とはなんら関係ないことだが、なんとなく書いてしまった。

正直言って、(最近正直ばかり言ってるが)戸惑いを隠せないのだ。中島陸郎さんのテキストを使って、筒井潤さんは、自分の方法論のもと、オリジナル戯曲を完全に解体して見せる。オリジナルはお話としての体をなしているはずだが、ドラカンにかかったら、お話は影も形も喪失する。ふざけているわけではない。ふざけてくれたなら、正直ほっとするのだが、結構本気で作られてある。

 テキストを解体して再構成していく時、お話の核心を摑むのではなく、周辺から攻めていくのが、筒井さんのやり方だが、それが上手く機能していない。それは中島さんの世界が強烈過ぎて、筒井さんのだらっとした世界と相容れないからなのか。求心的なテキストを遠心的な方法論を持つ集団が、自分たちのスタイルで消化しようとした事で生じた齟齬が作品の魅力でもあるが、そこに戸惑うことも事実で、なんだか複雑な気分だ。

 今回の作品の肝は客演の宮階真紀さんの存在だろう。彼女の稚拙な科白回しが独自のリズムを作る。彼女と向き合う3人はドラカンの男優たち(筒井潤、村山裕希、穴見圭司)だ。ここまで突き詰めた芝居を見ることになるとは思いもしなかった。シニカルな視線ではなく、正攻法で直視する。真面目すぎて辛いほどだ。その真面目さがこの作品の魅力なのだが、いつもの不真面目にしか見えない正直さが、この作品を素直に受け止めさせない。やはり、なんだか複雑な気分だ。

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