若い人たちによる旗揚げ公演を見るのは、なんだかドキドキしてしまう。しかも、このコロナ禍での上演である。先週のシイナナに続き2週連続でそういう貴重な機会に立ち会えたことがうれしい。彼らは今回の10周年を迎えるウイングカップに参加し、本格的なデビュー作であるにもかかわらず、というか、「それだからこそ」なのかも知れないが、渾身の力作を見せてくれた。真正面から自分たちが選んだ題材と向き合い、全力投球した。今、どうしても芝居がしたいんだ、という熱い想いがしっかりと伝わってくる作品だ。
頑張りすぎて,心を病んでしまった女性が主人公だ。彼女が入院した病院で過ごす時間が描かれる。医師や看護師とのやりとりから始まり、病院の施設内にある丘の上でひとりの少年と出会う。彼は10年前に彼女と同じようにここに入院していた患者のようで、彼の時間と彼女の時間が交わる。時空を越えてやってきた、ようなのだ。というか、彼の時間と彼女の時間が同じ空間で重なり合う。二人はカメラを通してそんな不思議を受け入れて、心を通い合わせる。写真を撮ること。この丘の上から見た風景。共有される時間。本来なら出逢うはずのないふたりが出逢い、お互いの中にある想いを伝え合い、一歩前へと足を踏み出していく。
ストーリー自体はシンプルで、ある意味ありきたりな物語だ。お話としての仕掛けも思い付きの域を出ない。本当なら、このお話のSFとしての整合性を付与して、そこから話を広げていくことは十分可能だ。だけど、敢えてそれをしない。なぜ、こんなことが起きたのか、医師と看護師が共有する小説の設定が主人公の身に起きたのはなぜなのか。10年前に何があったのか。あの少年は今どうなっているのか。そんなこんなの謎解きも用意したって構わないはずだ。だけど、そこは曖昧にして、ここで過ごした時間の記憶だけを大事にする。これは彼女が見た幻でいいのだ。ある風景が彼女の心を癒やし、そこから彼女は再び歩き始める。それだけで十分だと判断したのだろう。
自分たちの見せたいもの、見せたい風景が明確で、これだけは伝えたいのだ、という気持ちがしっかりと伝わってくる。欲張らないのはそれはそれでよかったと思う。