この小説はこのタイトルから想像するような壮大なドラマではない。それどころは、ささやかで、そのへんに転がっていて、誰にも気づかれず、見過ごされてしまいそうなお話だ。夕暮れの中学校の職員室。夏の終わり。もうほとんど誰も残っていない。夏休みの時間。遠い記憶の果てから、電話がかかってくる。とても孤独で、つらいばかりだった、14歳の夏に呼び戻される。幼なじみからの突然の電話は、恩師の死を知らせる。電話の相手、奈良くんも自分と
同じように中学の先生をしていると知る。
あれから20年以上の日々が過ぎた。地獄のような毎日だった。だけど、そんな日々の中で、先生との時間は彼女を勇気づけた。なんとか、立ち向かえる。それは奈良くんとの時間でもある。弟の塾の先生が久和先生で、先生の甥っこが奈良くん。弟を迎えに行くために塾に行くと奈良くんにも逢える。これは甘い初恋物語ではないが、ある種の青春の思い出だ。苦い思い出でもある。でも、あの辛い日々を乗り越えられた記念碑でもある。あそこで見たもの。感じたこと。それが今の自分を作っている。いちばんつらい時代を繰り返す。中学校で働くという事は、永遠に中学生の時間を過ごすという事でもある。あの頃の自分のような子供を助けたいというわけではない。でも、彼らと寄り添うことで何かができる、かもしれない、とでも、思ったか。そのへんの事情は一切描かれない。ただ、今の彼女を作ったのはあの頃の痛みだ。それだけは確かだ。
この小説は彼女をあの頃へと連れ戻す。そこで何があったのかを伝える。『
青春』という時間をどう生きるか。それを教えてくれる。だから、こんなタイトルなのか。狭い世界で息もできないくらいに苦しみ、もがき、過ごした。そんな14歳は大人の傷みを知り、生きようと思う。「いまはわからないだりうけど、いまの苦しさは、いまだけだ。そのうち、いまよりも体は大きくなる。そうすると、もうちょっとだけ、たくさん腹の中に入るようになっていく。腹いっぱいだったはずが、まだ、もう少しならだいじょうぶかもって、思えるようになっていくんだよ。」と久和先生は奈良くんに言う。主人公であるわたしもそのことばを聞く。大人になると耐えられることも子供には難しい。だから子供は大変なのだ。先日見た『思い、思われ、ふり、ふられ』も同じことを描いていた。あの映画は高校1年生だから、この小説の2年後。そして、14歳は『はちどり』と同じだ。あれも痛かった。傷ましい。この夏見た傑作映画2本と同じように、この傑作小説も、今の僕の心を捕らえて離さない。
大人になる。そのとき、何を想い、何をするのか。そして、人はそこからどこに行くのか。今はそんなことばかり考えている。自分がもう十分大人になったからではない。大人から、老人になろうとしているからだ。今の不安は14歳の不安と近い。それだけに彼らのことが身に沁みる。