『おくりびと』で一躍時の人となってしまった滝田洋二郎監督の受賞後第1作である。(映画自体は受賞前に完成していたが)でも、僕にとっては滝田監督はあくまでも、あの傑作『バッテリー』を作った人だ。『バッテリー』のすばらしさの前ではたとえ『おくりびと』であろうとも翳んでしまう。
さて、今回の作品にとってのライバルは断じて『おくりびと』ではなく『バッテリー』である。あの作品を超えることが出来たかがポイントだと思う。見終えてその結果を正直書こう。残念ながらあらゆる意味で『バッテリー』の足元にも及ばなかった、ということが事実だ。野球と釣りというジャンルの違いが問題なのか、滝田監督のスタンスのせいなのか、そのへんは微妙だ。
ストーリーがあまりに単調すぎて拍子抜けした。単純なのが悪いのではない。見せ方の問題なのだ。夜鳴き谷の怪物を釣り上げるための旅を描く部分が映画の中心になるが、そこが中途半端で、これではこの映画全体が目指すところが見えてこない。『リバー・ランズ・スルー・イット』にしてもそうだが、釣り自体よりも、人間ドラマのほうに重点を置かなくては作品に奥行きが生じない。
祖父(渡瀬恒彦)と三平(須賀健太)との物語としてそれだけで完結してもいいし、田舎を嫌って東京に出た姉(香椎由宇)との確執も絡めて3人の関係性をメーンにしてもいい。なのに、そこを中途半端にしてしまい、釣りの話に気を取られたため映画としての完成度が著しく低下してしまったのだ。単純な話なのに、どこにもポイントが絞り込まれていないから、通り一遍の物語にしかならない。
だいたい導入部の鮎釣り大会のシーンがあまりに軽すぎて、これではあかんわ、と思った。しかも秋田の山村の風景が描けてない。ここをもっときちんと個性的に見せなくては映画にリアリティーは生じない。『バッテリー』が岡山の田舎の自然が見事に捉えられていたから、子供たちの生き生きした姿が説得力を持ったのとは対照的だ。この映画が精彩を欠くのはその辺に原因がある。
菅原文太の祖父と渡瀬の祖父とでは役者としての格が違う、だなんて思わない。問題は描き方なのだ。滝田監督の責任である。ここまでこの同じ傾向の2作品に差がついてしまったことをしっかり反省してもらいたい。
さて、今回の作品にとってのライバルは断じて『おくりびと』ではなく『バッテリー』である。あの作品を超えることが出来たかがポイントだと思う。見終えてその結果を正直書こう。残念ながらあらゆる意味で『バッテリー』の足元にも及ばなかった、ということが事実だ。野球と釣りというジャンルの違いが問題なのか、滝田監督のスタンスのせいなのか、そのへんは微妙だ。
ストーリーがあまりに単調すぎて拍子抜けした。単純なのが悪いのではない。見せ方の問題なのだ。夜鳴き谷の怪物を釣り上げるための旅を描く部分が映画の中心になるが、そこが中途半端で、これではこの映画全体が目指すところが見えてこない。『リバー・ランズ・スルー・イット』にしてもそうだが、釣り自体よりも、人間ドラマのほうに重点を置かなくては作品に奥行きが生じない。
祖父(渡瀬恒彦)と三平(須賀健太)との物語としてそれだけで完結してもいいし、田舎を嫌って東京に出た姉(香椎由宇)との確執も絡めて3人の関係性をメーンにしてもいい。なのに、そこを中途半端にしてしまい、釣りの話に気を取られたため映画としての完成度が著しく低下してしまったのだ。単純な話なのに、どこにもポイントが絞り込まれていないから、通り一遍の物語にしかならない。
だいたい導入部の鮎釣り大会のシーンがあまりに軽すぎて、これではあかんわ、と思った。しかも秋田の山村の風景が描けてない。ここをもっときちんと個性的に見せなくては映画にリアリティーは生じない。『バッテリー』が岡山の田舎の自然が見事に捉えられていたから、子供たちの生き生きした姿が説得力を持ったのとは対照的だ。この映画が精彩を欠くのはその辺に原因がある。
菅原文太の祖父と渡瀬の祖父とでは役者としての格が違う、だなんて思わない。問題は描き方なのだ。滝田監督の責任である。ここまでこの同じ傾向の2作品に差がついてしまったことをしっかり反省してもらいたい。