なんて暖かい映画だろう。切なくて悲しくて、でもそれでも生きる勇気を与えられる。こういう映画が見たかった。主人公は35歳の女性である。彼女は結婚もせず、ずっと叔母と2人きりで、ひっそりと暮らしている。ずっと(たぶん)大学の図書館で働いている。館長は変な人だし、大学の先生にも変な人が居るけど、でも、ここはこれはこれで居心地がいい。彼女の名前はルイ(坂井真紀)。叔母(加賀まりこ)はルイが生まれたときから母親替わりとなりたったひとりで彼女を育ててくれた。家族はいない。父は誰だか知らないし、母は彼女が生まれたときに死んでしまった。これからは、叔母が今まで自分を育ててくれたように、だんだん老いていく彼女の面倒を見て、2人で暮らすのだろうと、思っていた。それが自分たちの人生で、それはそれで悪くはないと。
だが、ある日、60歳を充分過ぎている(だろう)叔母が結婚すると宣言した。しかも、彼女が連れてきた相手は20歳以上年下のまだ若い男(萩原聖人)である。男はいきなりやってきて、彼女を連れて去っていく。後には自分がひとり残された。
この映画はここから始まる。ひとりぼっちになった彼女が、古くて広い家でたったひとり暮らす日々の孤独。そんな時、ある日偶然庭に紛れ込んできた不思議な初老の男(藤竜也)と出会う。さらには彼女の親友が勤める出版社でアルバイトする青年(西島隆弘)が、この家を気に入り、なんとなく、居着くことになる。やがて気がつくと3人による同居生活が始まる。
それにしても、こんなにも何もない映画にはなかなかお目にかかれないだろう。何もない毎日のスケッチが静かに綴られていくだけだ。2人の男と同居するという話から想像されるようなイメージからほど遠い。彼らの生活はあまりに何もなさ過ぎる。これは恋愛映画ではない。だいたい年の差がありすぎる。自分の父親のような男と、10歳以上年下の男。しかも彼女はまるで恋愛には興味はない。だから、なまめかしい話にはならない。(一瞬そんな雰囲気にもなるがすぐに否定される)
この映画は一体どういう客層をターゲットしたのだろうか。想像もつかない。だいたい今時こんな地味な映画を作っても誰も見に来ないだろう。案の定、劇場は土曜の夕方なのに30人ほどしかお客さんはいない。しかも1日1回しか上映されないのに、である。でも、隠れ里そのもののようなこの映画が、秘かに隠れ里そのもののように上映されているって、なんだかうれしい。そこには誰も知らない秘密の映画を自分ひとりが独占できたような快感がある。監督は『樹の海』『犯人の告ぐ』の瀧本智行。
ルイという女の子の小宇宙を描くこのささやかな映画を抱きしめたくなる。寂しくないか、と言われれば、否定は出来ない。だが、ひとりで居ることは、他人が思うほど寂しいことではない。世間と隔絶して暮らすのではないからだ。仕事もあるし、友だちもいる。近所の人ともつきあいはある。叔母さんは時々帰ってきてくれる。毎日の生活がある。ひそかな楽しみもある。叔母さんから伝授された余り物の野菜と鶏ガラで作るスープは、とてもおいしい。それだけでなんだか満たされる。結婚して家庭を作ることだけが幸せなのではない。そんな気にさせられる。穏やかな時間を持ち、満たされた日々を過ごす。そこにこそ本当の幸せがある。形に囚われることはない。自分らしい生き方が出来ればそれでいいのだ。
ラストシーンがすばらしい。仕事を終えて、疲れ果てて帰ってきたルイが、誰もいない家の明かりをつける。そして、キッチンのテーブルに伏せて、ほんの少しうたた寝する。そして夢を見る。近所にある廃墟となった遊園地。そのメリーゴーランドのところにみんなが集まりダンスパーティーをする。電飾が点き、メリーゴーランドも動き出す。とても幸せな夢だ。彼女は、こんなにも素敵な人たちに包まれて生きているのだ。それだけで充分ではないかと思わされる。
だが、ある日、60歳を充分過ぎている(だろう)叔母が結婚すると宣言した。しかも、彼女が連れてきた相手は20歳以上年下のまだ若い男(萩原聖人)である。男はいきなりやってきて、彼女を連れて去っていく。後には自分がひとり残された。
この映画はここから始まる。ひとりぼっちになった彼女が、古くて広い家でたったひとり暮らす日々の孤独。そんな時、ある日偶然庭に紛れ込んできた不思議な初老の男(藤竜也)と出会う。さらには彼女の親友が勤める出版社でアルバイトする青年(西島隆弘)が、この家を気に入り、なんとなく、居着くことになる。やがて気がつくと3人による同居生活が始まる。
それにしても、こんなにも何もない映画にはなかなかお目にかかれないだろう。何もない毎日のスケッチが静かに綴られていくだけだ。2人の男と同居するという話から想像されるようなイメージからほど遠い。彼らの生活はあまりに何もなさ過ぎる。これは恋愛映画ではない。だいたい年の差がありすぎる。自分の父親のような男と、10歳以上年下の男。しかも彼女はまるで恋愛には興味はない。だから、なまめかしい話にはならない。(一瞬そんな雰囲気にもなるがすぐに否定される)
この映画は一体どういう客層をターゲットしたのだろうか。想像もつかない。だいたい今時こんな地味な映画を作っても誰も見に来ないだろう。案の定、劇場は土曜の夕方なのに30人ほどしかお客さんはいない。しかも1日1回しか上映されないのに、である。でも、隠れ里そのもののようなこの映画が、秘かに隠れ里そのもののように上映されているって、なんだかうれしい。そこには誰も知らない秘密の映画を自分ひとりが独占できたような快感がある。監督は『樹の海』『犯人の告ぐ』の瀧本智行。
ルイという女の子の小宇宙を描くこのささやかな映画を抱きしめたくなる。寂しくないか、と言われれば、否定は出来ない。だが、ひとりで居ることは、他人が思うほど寂しいことではない。世間と隔絶して暮らすのではないからだ。仕事もあるし、友だちもいる。近所の人ともつきあいはある。叔母さんは時々帰ってきてくれる。毎日の生活がある。ひそかな楽しみもある。叔母さんから伝授された余り物の野菜と鶏ガラで作るスープは、とてもおいしい。それだけでなんだか満たされる。結婚して家庭を作ることだけが幸せなのではない。そんな気にさせられる。穏やかな時間を持ち、満たされた日々を過ごす。そこにこそ本当の幸せがある。形に囚われることはない。自分らしい生き方が出来ればそれでいいのだ。
ラストシーンがすばらしい。仕事を終えて、疲れ果てて帰ってきたルイが、誰もいない家の明かりをつける。そして、キッチンのテーブルに伏せて、ほんの少しうたた寝する。そして夢を見る。近所にある廃墟となった遊園地。そのメリーゴーランドのところにみんなが集まりダンスパーティーをする。電飾が点き、メリーゴーランドも動き出す。とても幸せな夢だ。彼女は、こんなにも素敵な人たちに包まれて生きているのだ。それだけで充分ではないかと思わされる。