とてもおもしろい芝居だ。昭和51年なんていうなんとも中途半端な時代設定をして、その風俗の表層をサラサラなぞっていきながら、そこに何らかの意味とか、意義とか、薀蓄なんかを垂れるわけではない。ショート・コント連作のようなスタイルを取りながら、ひとつの時代の持つ曖昧な気分を捉えていこうとする。
オリバーくん(チンパンジーと人間の中間にあたる未知の生物)という存在を芝居の中央に据えて、普通の家庭のどこにでもいるような女性が、いい年をしてアイドルを夢見て東京に行き、「オリバーの花嫁」という触れ込みでゲテものタレントとなり、歌手デビューすら果たす。このヒロイン雅江を村井千恵さんが演じる。いつもながら彼女はとても可憐でそんな彼女がフリークスと化していく。
彼女には特別な才能がある。オリバーの話す言葉が理解できるのだ。さらには、天使の声も聞こえるという特異体質の彼女は、特別な存在であるゆえの悲しみすら身に纏うことになる。ただのOLだった。真面目に働いていた。だが、同僚とも上手く行かず、不満が溜まる。そして、ある日、彼女は仕事を辞めて、家も出る。東京に行き、特番のオリバーの花嫁募集に応じ、自分を見失っていく。オリバーとの結婚式のとき、彼女は彼を拒絶することにより、自分を取り戻していく。
こういうストーリーのもとに、時代の孕み持つ悲劇として、全体をまとめていくとこれは傑作になったかもしれない。しかし、作演出の魔人ハンターミツルギさんは絶対にそういう芝居にはしない。芝居がシリアスモードになっていく直前でいつもセーブをかけてしまう。
そこには彼なりの美意識がある。芝居としての深みとか奥行きとかを目指すことは、簡単だ。だけど、敢えてそうはしない。笑顔でそういう事態を回避するのだ。
芝居の外枠にあるねずみ男(アサダタイキさんが演じる。とんでもなく味があるキャラだ。)の話が実にいい。人と妖怪の中間的存在である彼がなぜただの人間になってしまったのか、という話の外には、行方不明になった姉を捜すルポライターの話がある。周到に外堀を固めたのは、オリバーの話をただの伝説にはしないという想いからだろうか。懐かしい風俗を芝居の中に取り込むのではない。しかし、そこに何らかの時代のメッセージを読み取るのでもない。
『エレファントマン』のような芝居を作ることも可能だった。TVによって見せ物にされた珍獣の悲劇。そんなヒューマンドラマなんて見たいわけではないし、それってミツルギさんの目指す地点か遥か遠くに位置するものだろう。では、何を描きたかったのか。
フリークスとしてのオリバーではなく、「半分人間」という中途半端な存在である僕らすべての人間たちの象徴として彼らの災厄を描くことが目的だったのではなかろうか。もはや戦後でもなく、学生運動も終息したブランク・セブンティーン世代の象徴として、オリバーくんは昭和51年という中途半端な時代の中にいた。そんなひとつの事実を通して、ミツルギさんはあの時代を回顧する。
いつものトリ天のテイストを崩すことなく今まで以上に微妙なレベルでの表現を目指した。詰めの甘さを悔しいと思うのではなく、敢えてこの作り方を貫いていく志の高さを評価したい。テ-マ主義に陥ることなく、時代の気分を見事に掬い取った秀作である。
PS 芝居のパンフを見たら、上別府学さん演じるオリバーの役名は「ガリバー」となっていた。一応ここに書いておきます。
オリバーくん(チンパンジーと人間の中間にあたる未知の生物)という存在を芝居の中央に据えて、普通の家庭のどこにでもいるような女性が、いい年をしてアイドルを夢見て東京に行き、「オリバーの花嫁」という触れ込みでゲテものタレントとなり、歌手デビューすら果たす。このヒロイン雅江を村井千恵さんが演じる。いつもながら彼女はとても可憐でそんな彼女がフリークスと化していく。
彼女には特別な才能がある。オリバーの話す言葉が理解できるのだ。さらには、天使の声も聞こえるという特異体質の彼女は、特別な存在であるゆえの悲しみすら身に纏うことになる。ただのOLだった。真面目に働いていた。だが、同僚とも上手く行かず、不満が溜まる。そして、ある日、彼女は仕事を辞めて、家も出る。東京に行き、特番のオリバーの花嫁募集に応じ、自分を見失っていく。オリバーとの結婚式のとき、彼女は彼を拒絶することにより、自分を取り戻していく。
こういうストーリーのもとに、時代の孕み持つ悲劇として、全体をまとめていくとこれは傑作になったかもしれない。しかし、作演出の魔人ハンターミツルギさんは絶対にそういう芝居にはしない。芝居がシリアスモードになっていく直前でいつもセーブをかけてしまう。
そこには彼なりの美意識がある。芝居としての深みとか奥行きとかを目指すことは、簡単だ。だけど、敢えてそうはしない。笑顔でそういう事態を回避するのだ。
芝居の外枠にあるねずみ男(アサダタイキさんが演じる。とんでもなく味があるキャラだ。)の話が実にいい。人と妖怪の中間的存在である彼がなぜただの人間になってしまったのか、という話の外には、行方不明になった姉を捜すルポライターの話がある。周到に外堀を固めたのは、オリバーの話をただの伝説にはしないという想いからだろうか。懐かしい風俗を芝居の中に取り込むのではない。しかし、そこに何らかの時代のメッセージを読み取るのでもない。
『エレファントマン』のような芝居を作ることも可能だった。TVによって見せ物にされた珍獣の悲劇。そんなヒューマンドラマなんて見たいわけではないし、それってミツルギさんの目指す地点か遥か遠くに位置するものだろう。では、何を描きたかったのか。
フリークスとしてのオリバーではなく、「半分人間」という中途半端な存在である僕らすべての人間たちの象徴として彼らの災厄を描くことが目的だったのではなかろうか。もはや戦後でもなく、学生運動も終息したブランク・セブンティーン世代の象徴として、オリバーくんは昭和51年という中途半端な時代の中にいた。そんなひとつの事実を通して、ミツルギさんはあの時代を回顧する。
いつものトリ天のテイストを崩すことなく今まで以上に微妙なレベルでの表現を目指した。詰めの甘さを悔しいと思うのではなく、敢えてこの作り方を貫いていく志の高さを評価したい。テ-マ主義に陥ることなく、時代の気分を見事に掬い取った秀作である。
PS 芝居のパンフを見たら、上別府学さん演じるオリバーの役名は「ガリバー」となっていた。一応ここに書いておきます。
あの時代をどうしても描きたかったのです。
あの頃からシャープな時代になって、ボンヤリした時代はどこかへ行ってしまいました。
こういうものを描くのが上手い人はたくさんいるでしょうが、
私なりに懐かしさとちょっとの憧れとほんの少しの「おいおい、あかんやろ!」をこめて作ったつもりです。
テーマありきの作品じゃないので感想かきにくいでしょう。
すいません。