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映画・演劇のレビュー

妄想プロデュース『シンセイの走り屋』

2009-04-27 21:36:12 | 演劇
 ここから始まる。池川辰哉による走り屋3部作の第1章である。これは池川くんが高校時代に書いた作品の再演らしい。再演と書いたがパンフのコメントを読んでいると、はたしてこれが上演されたか否かは判明できない。台本を書いただけで上演は為されなかったのかも知れない。それならそれで面白い。高校生の彼が妄想した幻の芝居が今、現実になる。

 台本はこの第1章のみで頓挫した。だが、今、彼はその続きを書く。そして、1年間かけて上演する。彼の中にある大きなものが動き出す。18歳の少年の中で巣食った形のない「ナニモノ」が少し大人になった彼を突き動かす。

 物語の序章はとても簡単なストーリーだ。肉体の48箇所を欠損したままこの世に生を受けた男(舵竜矢)は自らの失われた肉体を取り戻すための旅に出る。(これでは『どろろ』の百鬼丸ではないか!)肉の塊として生れ落ちた彼(デビット・リンチの『イレイザーヘッド』だ!)はそのおぞましさゆえ棄てられる。

 彼を棄てた母親を求める旅である。偶然見たサーカスの団長であるヒミコ(古川智子)の中に自分と同じ「もの」を見る。彼は彼女と行動を共にする。彼は舞台で走り続ける。その姿が観客の心を捉える。彼が脚光を浴びることと反比例するようにヒミコのカリスマ性は失われていく。彼女の力を吸収していくことで一座のスターになっていく、という基本ストーリー自体はたわいない。だが、一気呵成に突き進むので飽きさせない。

 そして、ラストである。ある種の定番だが、内容とうまく噛み合い効果を挙げている。母の羊水の中で、母の肉体と入れ替わるように生まれてくるラストシーンはすべての始まりを象徴する。舞台の下に作られた池。そこで水浸しになって2人はもつれ合う。この1時間20分の妄想プロデュースとは思えない短さの作品は、まだ語られない壮大な物語のプロローグでしかない。肉の塊でしかなかった赤ん坊が走り続けることで、失われた母と出逢い彼女の肉体を奪い取ることで、本当の意味で、この世に生を授かる。ひとつの体からもうひとつの命が生まれてくるという生命の神秘は、まだ高校生だった池川くんにとって想像を絶するものだったはずだ。少年の真摯な想いがこの単純な物語を紡ぎあげた。あまりにあっけない勢いだけで走り抜けていくこの作品は、作家としての池川くんの新しい誕生を示す画期的な作品となるかもしれない。

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