芝居が始まると、そこは閉鎖された空間だ。明かりはなかなか入らない。ゆっくりと闇の中にぼんやり浮かび上がってくる2つの影。彼らは狭い場所に閉じ込められている。そこがどこなのかはわからない。
いじめにより、飛び降り自殺をして、死んでしまった69<ロック>(樋口美友喜)。そんな彼を助けられなかったという心の傷を抱いたまま生きる69<無垢>(村上桜子)。老いた祖父母を棺おけに入れて、一人生きていこうとする青年アス(大森一広)。そんな彼を箱の中に導く役所の女事務員(吉川貴子)。彼らが織り成す物語はとてもシンプルで、残酷だ。
こんなに解りやすいのに、それが、従来のストーリーラインを追わないために、解りにくいものになる。この芝居に於けるいろんなものには、結末が付かず、そのイメージはおざなりにされたままになる。忘れられたわけではない。拡散されたまま放置されていくのだ。散りばめられたイメージはラストで全てが収斂られていくものだ。それがドラマの鉄則であろう。なのに、この芝居はそうはならない。
原因も結果もない。例えば、ロックは、なぜ死んでしまったのか。ムック(無垢)は、なぜロックを見失ってしまったのか。アスはなぜ老いた肉親を棄てるのか。そのために箱が必要なのはなぜか。彼はなぜ箱を手にすることが出来ないのか。役所の女は彼をどこに導こうとしているのか。
一人一人に明確な顔がないのはなぜか。箱男と箱女たちが放浪する。電車はいったいどこに向かうのか。
この物語は、どこかに行き着くことなく、いつまでも、グルグル同じところを周っている。ここには、何ら明確な答えはない。見ていて不安になる。ラストまで、見終えたとき、その不安は何ひとつ解決しないのに、なぜかとても爽やかな気分になる。それって一体何なのか。理詰めでドラマを作り上げていく従来のスタイルから、1歩踏み出して、今回はどんどんドラマが拡散していくというスタイルを選択した。これはとても怖いつくり方である。
とても観念的なお芝居なので、どんなふうに読み込んでいけばいいのか、少し戸惑う人も多いだろう。もちろんUglyはいつもそうじゃないか、と言われればそれまでだが、今回はいつも以上に混沌としている。入り口があって、不思議の世界に迷い込み、そこで何かを受け止め、出てくるなんていうよくあるパターンは踏まない。
入り口が、いつの間にか出口になっていて、裏と思っていたものが、実は表だったり。電車に乗ったまま、どこかに連れて行かれて、行ったまま、帰ってこない、とか。冒頭の箱の中に閉じ込められた2人は結局そこから出てくることはない。なぜ、彼らがそこに閉じ込められていたのか、そこはいったいどこなのか、何が世界で起きているのか、そういうことのひとつひとつが、宙吊りにされたままだ。一切答えのようなものは提示されない。一瞬わかったような気がするが、それは、そんな気がするだけで、何ら解決はなされない。
よく解らないまま、置いてけぼりを食った気分になる。作者の独りよがりだと受け止められかねない。しかし、樋口さんと池田さんは恐れずに、このスタイルで1本の芝居を作ろうとする。逃げたりしない。
その結果、この混沌とした現代のあらゆる局面が、コラージュされた世界の中で、死んで、生まれて、閉じ込められて、解放されることを、繰り返す《人の営み》が、見事に捉えられていくことになる。
いじめにより、飛び降り自殺をして、死んでしまった69<ロック>(樋口美友喜)。そんな彼を助けられなかったという心の傷を抱いたまま生きる69<無垢>(村上桜子)。老いた祖父母を棺おけに入れて、一人生きていこうとする青年アス(大森一広)。そんな彼を箱の中に導く役所の女事務員(吉川貴子)。彼らが織り成す物語はとてもシンプルで、残酷だ。
こんなに解りやすいのに、それが、従来のストーリーラインを追わないために、解りにくいものになる。この芝居に於けるいろんなものには、結末が付かず、そのイメージはおざなりにされたままになる。忘れられたわけではない。拡散されたまま放置されていくのだ。散りばめられたイメージはラストで全てが収斂られていくものだ。それがドラマの鉄則であろう。なのに、この芝居はそうはならない。
原因も結果もない。例えば、ロックは、なぜ死んでしまったのか。ムック(無垢)は、なぜロックを見失ってしまったのか。アスはなぜ老いた肉親を棄てるのか。そのために箱が必要なのはなぜか。彼はなぜ箱を手にすることが出来ないのか。役所の女は彼をどこに導こうとしているのか。
一人一人に明確な顔がないのはなぜか。箱男と箱女たちが放浪する。電車はいったいどこに向かうのか。
この物語は、どこかに行き着くことなく、いつまでも、グルグル同じところを周っている。ここには、何ら明確な答えはない。見ていて不安になる。ラストまで、見終えたとき、その不安は何ひとつ解決しないのに、なぜかとても爽やかな気分になる。それって一体何なのか。理詰めでドラマを作り上げていく従来のスタイルから、1歩踏み出して、今回はどんどんドラマが拡散していくというスタイルを選択した。これはとても怖いつくり方である。
とても観念的なお芝居なので、どんなふうに読み込んでいけばいいのか、少し戸惑う人も多いだろう。もちろんUglyはいつもそうじゃないか、と言われればそれまでだが、今回はいつも以上に混沌としている。入り口があって、不思議の世界に迷い込み、そこで何かを受け止め、出てくるなんていうよくあるパターンは踏まない。
入り口が、いつの間にか出口になっていて、裏と思っていたものが、実は表だったり。電車に乗ったまま、どこかに連れて行かれて、行ったまま、帰ってこない、とか。冒頭の箱の中に閉じ込められた2人は結局そこから出てくることはない。なぜ、彼らがそこに閉じ込められていたのか、そこはいったいどこなのか、何が世界で起きているのか、そういうことのひとつひとつが、宙吊りにされたままだ。一切答えのようなものは提示されない。一瞬わかったような気がするが、それは、そんな気がするだけで、何ら解決はなされない。
よく解らないまま、置いてけぼりを食った気分になる。作者の独りよがりだと受け止められかねない。しかし、樋口さんと池田さんは恐れずに、このスタイルで1本の芝居を作ろうとする。逃げたりしない。
その結果、この混沌とした現代のあらゆる局面が、コラージュされた世界の中で、死んで、生まれて、閉じ込められて、解放されることを、繰り返す《人の営み》が、見事に捉えられていくことになる。