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映画・演劇のレビュー

大阪新撰組『迷路』

2016-06-26 08:47:57 | 演劇

 

新撰組としては久々の本公演。アトリエを出てウイングでの公演である。大胆で挑発的な舞台を作り上げる。アラバールの『迷路』を見るのは2度目だ。KUNIOがアイホールで上演した作品も画期的だったが、本作のウイングの狭い空間を縦横に駆使して作り上げた迷路は刺激的。冒頭のシーツの阻まれて舞台が見えないという演出が素晴らしい。しかも、客席を3つに分断して、それぞれを隔離する。舞台前、中段、後段と3か所シーツによって目隠しするのだ。(3か所ではなく、2か所だったかも)

 

一体何が始まるのか、驚かされる。しかも、そこでかなり引っ張ることになる。いつまでたっても、舞台が見えないまま。イライラさせる。だが、覆いはシーツだ。だから、最前列の人はシーツをかき分けて、覗き見出来る。(実際何人かが何度か覗いていたけど)、僕は中段なので、覗けない。でも、暇だから、後ろの客席を覗いたりして遊んだ。

 

よくやくシーツが解放されると、舞台賞もまたシーツの波だ。舞台はシーツで迷路と化している。劇場全体を張り巡らされた迷路にしたい、というわけなのだ。だが、芝居は正攻法でちゃんと雛壇舞台となっている。正面を向いて客席から舞台を見るといういつものスタイル。分断された空間は最初だけで、その後は使われない。

 

もうひとつ、大きな仕掛けは用意されている。おかしいと思ったのだ。2時間15分という上演時間である。どうしてそんな長さのなるのか、と。いつまでたっても南田吉信さんが登場しないし、これはどうしたものか、と思う。芝居が終わったところで、彼が登場して、同じ芝居がもう一度繰り返される。若い大城戸洋貴さんが演じた主人公を南田さんが演じる。周囲のキャストはそのまま。もちろん台本の改ざんは為されない。同じ話を演出を変え、ニュアンスを変えたので、いささか違った印象を与える。よく似た別の話、と思ってもいい。そんなふうに作られる。そうなると、2つのお話を見せることで、どこにたどり着くのかが、気になるところだ。だが、ラストはことさら、2話をまとめるようなオチは付けたされない。放り投げたままで終わる。なんだか、キツネにつままれた気分になる。

 

もともとこのお話自体がそうなのだ。どことも知れない場所で、旅人は迷子になる。何枚もの(何百万枚である)シーツが干された空間は、どこに行こうと同じで、また、同じ場所に戻ってくる。ここからは永遠に抜け出せない。永遠に繰り返される、という行為を2度の変わらないお話を通して描こうとしたのか。まるでキャラクターの違う2人の役者が演じることで、その温度差も含めて、作品世界は大きく広がる。悪夢のような空間をさまよう彼らとともにいつ果てることない迷宮に踏みとどまる。

 


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