劇場で見た映画しか映画と思わないから、基本的にはここにはDVDで見たものは書かないのだが、今回は掟破り。やっと『好きだ、』を見た。これが実は、かなり微妙で。
とてもきれいな映像で、それだけ見てる分にはいい。でも、これでは映画とはいえない。17歳と34歳。ふたつの時間。ふたりの気持ち。ほんの短い時間の中でそれが描かれていく。宮崎あおいと瑛太。永作博美と西島秀俊。まるでドユメンタリーのようなさりげなさ。どこをとっても僕の好きな世界がとても好ましい表現で描かれていく。なのに映画にはがっかりさせられた。
前半の17歳編は女の側からナレーションが入る。後半34歳編はもちろん男の側からになる。何から何までスタイリッシュな作りを貫く。映画は「好きだ」の一言が言えるまでの話。その一言が言えないまま、過ごした日々の断片が、前半は河川敷の緑を背景に描かれ、後半は一転して都会の喧騒の中で描かれる。
イメージとしてはとても好きなのだが、映画はイメージだけでは作れない。
と、書いてきて、はたしてそうか?という疑問を抱く。この映画を映画館で見たらどんな印象を抱いたか。もしかしたら、この風景だけで、満足できたかもしれない、と思う。映画は映画館で見るために作られている。改めてそんなことを感じさせられた。
せっかくの機会なので、もう1本DVD。ヴィム・ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』。劇場で見たかった。これも圧倒的な風景を見るための映画である。これをテレビなんかで見ても仕方ない。でも、しかたなくても見たかったから見た。これはいい映画だった。
名作『パリ、テキサス』から20年。ヴェンダースがずっと封印してきたサム・シェパードとの共同作業にもう一度取り組んだ。ヴィムにとっても、サムにとってもあの『パリ、テキサス』という映画は人生におけるひとつの頂点を示す完璧な映画だった。
だから、もし、もう一度2人が映画を作るならあれを越えなくては意味がない。そんな、2人の想いは痛いほど分かる。映画に対する真摯な姿勢が胸に痛い。
ドイツ人である彼が、もう一度アメリカを描くということ。そして、家族を描くこと。あれから20年が経ち、変わったこと、変わらなかったこと。それを確認し、もちろんそれだけでは終わらさない。前作ではあえて主役をハリー・ディーンスタントンに譲り脚本に専念したサムが今回は自ら主役を演じるところにも、作り手の覚悟の程が伺える。
そして出来た映画は、あっと驚く軽さを示す。あの暗く重い『パリ、テキサス』(風景は明るく空っぽであったが)とは全く対照的な切り口をみせる。しかし、何もない空っぽの風景の中、ただフラフラ歩く主人公の姿を描くところなんて、前作と同じだ。そして、顧みることもなかった家族というものを、もう一度見つめなおしていくラストもよく似ている。
全く違ったタッチで、でも同じ精神を持ち変わる事のない世界観を提示する。人はいつも、自分の帰っていくべき場所の向かって放浪を続けて行く。しかし、そんな場所は、どこにもないのかもしれない。でも、人は旅をする。
ヴェンダースの旅をこれからもっずっと見守り続けたい。そんな気持ちにさせてくれる秀作だ。
とてもきれいな映像で、それだけ見てる分にはいい。でも、これでは映画とはいえない。17歳と34歳。ふたつの時間。ふたりの気持ち。ほんの短い時間の中でそれが描かれていく。宮崎あおいと瑛太。永作博美と西島秀俊。まるでドユメンタリーのようなさりげなさ。どこをとっても僕の好きな世界がとても好ましい表現で描かれていく。なのに映画にはがっかりさせられた。
前半の17歳編は女の側からナレーションが入る。後半34歳編はもちろん男の側からになる。何から何までスタイリッシュな作りを貫く。映画は「好きだ」の一言が言えるまでの話。その一言が言えないまま、過ごした日々の断片が、前半は河川敷の緑を背景に描かれ、後半は一転して都会の喧騒の中で描かれる。
イメージとしてはとても好きなのだが、映画はイメージだけでは作れない。
と、書いてきて、はたしてそうか?という疑問を抱く。この映画を映画館で見たらどんな印象を抱いたか。もしかしたら、この風景だけで、満足できたかもしれない、と思う。映画は映画館で見るために作られている。改めてそんなことを感じさせられた。
せっかくの機会なので、もう1本DVD。ヴィム・ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』。劇場で見たかった。これも圧倒的な風景を見るための映画である。これをテレビなんかで見ても仕方ない。でも、しかたなくても見たかったから見た。これはいい映画だった。
名作『パリ、テキサス』から20年。ヴェンダースがずっと封印してきたサム・シェパードとの共同作業にもう一度取り組んだ。ヴィムにとっても、サムにとってもあの『パリ、テキサス』という映画は人生におけるひとつの頂点を示す完璧な映画だった。
だから、もし、もう一度2人が映画を作るならあれを越えなくては意味がない。そんな、2人の想いは痛いほど分かる。映画に対する真摯な姿勢が胸に痛い。
ドイツ人である彼が、もう一度アメリカを描くということ。そして、家族を描くこと。あれから20年が経ち、変わったこと、変わらなかったこと。それを確認し、もちろんそれだけでは終わらさない。前作ではあえて主役をハリー・ディーンスタントンに譲り脚本に専念したサムが今回は自ら主役を演じるところにも、作り手の覚悟の程が伺える。
そして出来た映画は、あっと驚く軽さを示す。あの暗く重い『パリ、テキサス』(風景は明るく空っぽであったが)とは全く対照的な切り口をみせる。しかし、何もない空っぽの風景の中、ただフラフラ歩く主人公の姿を描くところなんて、前作と同じだ。そして、顧みることもなかった家族というものを、もう一度見つめなおしていくラストもよく似ている。
全く違ったタッチで、でも同じ精神を持ち変わる事のない世界観を提示する。人はいつも、自分の帰っていくべき場所の向かって放浪を続けて行く。しかし、そんな場所は、どこにもないのかもしれない。でも、人は旅をする。
ヴェンダースの旅をこれからもっずっと見守り続けたい。そんな気持ちにさせてくれる秀作だ。