鈴江俊郎さんがAIホールのファクトリーで出会った若い人たちと別ユニットを組んで作ったこの芝居は、とてもシンプルで分かりやすく面白い。8時半の時とは全く違うテイストを示しつつも、でもとても鈴江さんらしい作品に仕上がっている。
4人の女たちが同じ男にひっかかる。しかも彼女たちは同じ学校の同僚である。4人は自分から進んでお金をたっぷり貢いでしまう。素朴で真面目そうに見えるその男は、口がとてもうまい。(そんなプレイボーイを鈴江自身がやっている)4人にそれぞれのやり方で接して、愛を囁き、お金をきっちり手に入れる。そしてそのお金はすべてギャンブルに消えてしまう。悪い男だが、彼女たちはこいつを憎めない。こんな状況になって、すべてがわかっても、まだ許してしまう。
一応は、彼女たちに男が吊し上げられるという話なのだが、芝居は途中から、文化祭で君が代を歌うか、歌わないかを巡る話にすり替わっていく。
鈴江さんはもちろん意図的にこういう芝居を作る。シチュエーションコメディーになるような話を提示しながらも、そこから、今ここにいる自分たちの存在自身を不安にさせるような芝居へと変化するという手法は、僕たちの日常のレベルでの心の行き違いとか、いろんな問題が、実は世界との関わりの中で成立しているということを教えてくれる。下世話な恋愛ものにみせかけて、政治的なメッセージ芝居を軽々作ってしまう。そのフットワークの軽やかさはさすがだ。
自分たちだけの狭い世界が、この大きな社会の中にあり、個人の問題と社会の問題は決して切り離せるものではない。これはそんなとても真面目なことを描いた芝居なのだ。
4人の女たちが同じ男にひっかかる。しかも彼女たちは同じ学校の同僚である。4人は自分から進んでお金をたっぷり貢いでしまう。素朴で真面目そうに見えるその男は、口がとてもうまい。(そんなプレイボーイを鈴江自身がやっている)4人にそれぞれのやり方で接して、愛を囁き、お金をきっちり手に入れる。そしてそのお金はすべてギャンブルに消えてしまう。悪い男だが、彼女たちはこいつを憎めない。こんな状況になって、すべてがわかっても、まだ許してしまう。
一応は、彼女たちに男が吊し上げられるという話なのだが、芝居は途中から、文化祭で君が代を歌うか、歌わないかを巡る話にすり替わっていく。
鈴江さんはもちろん意図的にこういう芝居を作る。シチュエーションコメディーになるような話を提示しながらも、そこから、今ここにいる自分たちの存在自身を不安にさせるような芝居へと変化するという手法は、僕たちの日常のレベルでの心の行き違いとか、いろんな問題が、実は世界との関わりの中で成立しているということを教えてくれる。下世話な恋愛ものにみせかけて、政治的なメッセージ芝居を軽々作ってしまう。そのフットワークの軽やかさはさすがだ。
自分たちだけの狭い世界が、この大きな社会の中にあり、個人の問題と社会の問題は決して切り離せるものではない。これはそんなとても真面目なことを描いた芝居なのだ。