深田晃司監督が描く世界は小さくて、さりげない。ひとりの女の子が過ごすひと夏の物語。田舎の家での2週間。でも、そこは自然に包まれた美しい風景ではなく、ただのしょぼくれた地方都市でしかない。
18歳の夏。受験したすべての大学に落ちて浪人を余儀なくされる朔子(二階堂ふみ)。これは、そんな彼女が叔母(鶴田真由)と共に過ごす2週間のスケッチ。
彼女のひと夏の体験(成長)を描くとか、そんなのではない。恋愛映画でもない。(登校拒否中の少し年下の男の子とのお話にはなるけど)事件はない。ほんとうにさりげないスケッチだ。フランス映画にならよくあるような。でも、ロケーションがしょぼい。いや、ポスターにもなっている池のほとりでのシーンはきれいだ。自転車で自然の中を走る。そんなエピソードは確かにある。でも、それをことさら強調しない。
彼女が出会ったその男の子は福島からの被災者で、彼が学校で虐めにあっているのは、福島が原因でもある。彼は違法のラブホテルもどきのホテルで働き、ほんの少し朔子にあこがれている、かもしれない。どちらかというと、主人公であるはすの朔子よりも彼のほうがドラマを担っている。では、朔子は何なのか。
何者でもないのだ。勉強に精出すわけでもなく、ただなんとなくここにいる。この先どうしたい、とか、ない。このなんでもない、という無為なドラマがどうしてこんなにも、気になるか。そこがこの映画の魅力であろう。ふつうなら、誰もこんな映画を作らないはずだ。映画には多かれ少なかれ何か言いたいことがあり、そのテーマを物語として描くものだ。ちゃんとメッセージが前面に出る。そうすることで、安心する。でも、この映画はそういうのを拒否する。なにもない、ということを描くための映画にすら見えるのだ。だが、そのなにもないその先にあるものこそが、この映画の描きたかったものだろう。どこにもたどりつかないこの映画は僕たちを魅了する。