歌人でもある東直子の描く世界は通常の小説家の書くものとはいささか趣を異にする。彼女は物語を語ることよりも、描かれた世界を見せることに腐心する。お話には重きを置かない。そんな彼女が今回「物語」に挑んだ。7つの怪談は紀州の森で、山の中で、海で、暮らす老女たちの妄想かもしれない。
ただの不思議なお話、という括りでは収まらない。これは真実の物語ではないか。このいくつもの悲しい物語は100年、千年の時代を超えて、受け止める彼女たちの(我々の)胸へと届く。
怖いけど、優しい。それは不幸な時代を逞しく生き抜いた彼女たちの心だ。おばあちゃんが教えてくれたこと。最初の『イボの神様』を読んだとき、これはとんでもないものを読んでしまった、と震えた。主人公の少女のおばあちゃんが、神様へと連なる。信じるからイボがとれる。だが、少しでも疑ったなら、イボはどんどん増えてしまう。「中途半端な願いは・・・」
お年寄りはただの老婆ではなく、神様につながる。7つのお話は別々の物語なのだが、いずれも同じように老婆が出てきて、彼女たちの話に耳を傾ける女性がいる。不思議な出来事は、ただのお話でしかないのかもしれない。だが、その圧倒的な迫力の前で、その存在を信じざるを得ない。そこには彼女たちが生きた姿が描きこまれている。少女はやがて、母となり、老婆になる。女たちが生きた歴史の先にこの物語はつながる。ここに描かれた物語の中には彼女たちが生きた時間が封じ込まれてある。それは底なしの沼だ。怪談というパッケージングには到底収まりきらないものがある。