これは一人の少女の頭の中にある現実と妄想がごちゃごちゃになった世界だ。山本正典さんが作り上げるこの倉庫の中のワンダーランドは、5歳の少女が、父親(と、本人が思っているだけで根拠はない)に誘拐されて身代金として母親が3億円の代わりに少女が大事にしていた人形を持ってくる、という事件を中心にして、展開する。こんなありえない話が、高校2年生になった現在の少女の脳内宇宙で繰り広げられていかれることになる。
自分を少女の父親だと信じているその男は少女の母親を縛って、どうして3億円を持ってこないのか、と怒り狂って、彼女に拳銃をむける。母親が昔付き合ったその男を覚えていないことや、突然拳銃が出て来るという無謀な展開は、彼女がいつも携帯しているカッターで、縛っていた縄を簡単に切ってしまったことで、反撃に転じることで、置いてけぼりにされる勢いだ。一事が万事この調子である。発想の異常さにあきれ果ててつきあいきれないほどだ。(もちろんそれは褒め言葉です。それくらいに凄いということなのだ!)
主人公は高校2年生なのに、なぜか今も姉のおさがりであるランドセルを背負って学校に行かされるとか、更には、それが嫌だから不登校になるだとか。とんでもない。唐突にTVの中のお天気おねえさんが子供部屋にいる姉と少女に話しかけてくるし、いろんな不条理なことがごっちゃになって、この話の中に押し込まれている。そこには明確な方向性だとか、整然としたストーリーはない。だいたいワンダーランドなのだから、そこが整然とした法則性だとかに支配されていたりしたなら、ちゃんちゃらおかしい。(まぁ、そんな道理はないのだが)
作、演出の山本さんの頭の中に住む行方不明になった5歳の少女(彼女は芝居の中には登場しない)は、この誘拐犯のアジトであるうらぶれた倉庫の中を、わけのわからない迷宮に変えてしまう。いくつもの時間と場所、現実と妄想が渾然一体となり、105分の冒険が綴られる。社会的な問題もてんこ盛りだが、そこがテーマではない。それは単なる彩りに過ぎない。
だが、いつまでたっても帰ってこない母親を待ち続ける姉と妹の不安は真実である。そこを拠り所にしてこの不安と孤独の恐ろしいドラマは成立する。傑作である。コトリ会議は毎回スタイルを変えながらも、いつもとてもお上品でセンスのいい世界を紡ぎあげる。そこが山本さんの個性だろう。とても趣味がいい。
自分を少女の父親だと信じているその男は少女の母親を縛って、どうして3億円を持ってこないのか、と怒り狂って、彼女に拳銃をむける。母親が昔付き合ったその男を覚えていないことや、突然拳銃が出て来るという無謀な展開は、彼女がいつも携帯しているカッターで、縛っていた縄を簡単に切ってしまったことで、反撃に転じることで、置いてけぼりにされる勢いだ。一事が万事この調子である。発想の異常さにあきれ果ててつきあいきれないほどだ。(もちろんそれは褒め言葉です。それくらいに凄いということなのだ!)
主人公は高校2年生なのに、なぜか今も姉のおさがりであるランドセルを背負って学校に行かされるとか、更には、それが嫌だから不登校になるだとか。とんでもない。唐突にTVの中のお天気おねえさんが子供部屋にいる姉と少女に話しかけてくるし、いろんな不条理なことがごっちゃになって、この話の中に押し込まれている。そこには明確な方向性だとか、整然としたストーリーはない。だいたいワンダーランドなのだから、そこが整然とした法則性だとかに支配されていたりしたなら、ちゃんちゃらおかしい。(まぁ、そんな道理はないのだが)
作、演出の山本さんの頭の中に住む行方不明になった5歳の少女(彼女は芝居の中には登場しない)は、この誘拐犯のアジトであるうらぶれた倉庫の中を、わけのわからない迷宮に変えてしまう。いくつもの時間と場所、現実と妄想が渾然一体となり、105分の冒険が綴られる。社会的な問題もてんこ盛りだが、そこがテーマではない。それは単なる彩りに過ぎない。
だが、いつまでたっても帰ってこない母親を待ち続ける姉と妹の不安は真実である。そこを拠り所にしてこの不安と孤独の恐ろしいドラマは成立する。傑作である。コトリ会議は毎回スタイルを変えながらも、いつもとてもお上品でセンスのいい世界を紡ぎあげる。そこが山本さんの個性だろう。とても趣味がいい。