やっとポニョに逢えた。ずっと見たかったけど、我慢した。忙しくて、落ち着いて見る余裕がなかったのだ。昼間とかの子供が多い時間は、ちょっと嫌だし、出来ることなら大きなスクリーンで見たかったし。せっかく見るのだから万全の準備をして、見たいし、ね。
と、いうことで封切りから1ヶ月、ようやくポニョを見ることが出来た。うれしい。生きててよかった、なんていうと大袈裟だが、久々に素直な気分でよい映画を見た、と思えた。もちろん不満は多々ある。正直言うと、見た瞬間は「なんだ、これ?」と思わないでもなかった。だが、この欠陥だらけの映画が、今の宮崎駿の心境なら、それを受け入れてもいい、と思った。
とても小さな映画である。世界はこの小さな海辺の町の中にすっぽりと収まってしまう。その小さな世界の中の出来事は、実は、ここからは見えない大きな世界自体の縮図なのだが、そんなこと、あまり気にしなくてもいい。
海で暮らす金魚のポニョは、世界を見たくて、海の外へと冒険に出る。そこで、宗助という少年と出会い、彼のことが好きになる。アンデルセンの『人魚姫』を下敷きにしたお話は実にシンプルだ。彼女が人間になり、宗助と暮らしたいと願うことで、世界に異変が起こる。海が膨れ上がり、宗助たちが暮らす島は水の底に沈んでしまう。それでもポニョは宗助が好き。それだけ。
ポニョが、『となりのトトロ』のメイとそっくりだった。その事実にも感動する。この2人が似ているように、この2本の映画もまるで双子のようによく似ている。森と海、という場所。童話のようなお話。一途な想い。不思議な力。もちろんそんな設定ならすべての宮崎映画にある。だけれども、まるで合わせ鏡のようになったこの2本の映画は、単純さの中に、一番純粋な形で彼のオリジンが表現されている。
誰もが認めるように、宮崎アニメの最高傑作である『となりのトトロ』は、何度見ても泣く。そんな中でも一番泣けるシーンは、メイがさつきにわがままを言う場面だ。病気の具合が思わしくなくなったため、母の一時退院が不可能になったと聞かされたメイが、だだをこねる。さつきから、お母さんの病気が悪くなって死んでしまったらどうするの、と言われ、そんなのいやだ、と言い、それならお母さんが今日帰ってこれなくてもしかたないよね、と言われると、それもいやだ、と言う。お母さんに逢いたい一心で、思いっきりわがままを言いさつきを困らせる。
彼女の気持ちがとてもよくわかる。イヤなことはイヤなのだ。どちらかを取れとか言われても、どちらかなんて選択できない。そんなことって、ある。大人ならそこで我慢して、なんとかする。だけど、メイは我慢なんか出来ないから、わがままを貫いてしまう。お母さんに逢いに行こうとするのだ。
ポニョも同じようにわがままを押し通す。どうしても宗助が好きだから、宗助のところに行く!そして、人間になる。
なにがあっても、自分の我を通し、思いを実現する。そのためには世界がどうなったってかまわない。もちろん彼女には世界のことなんか考える余裕はない。大人なら、この世の中には自分だけの力ではどうにもならないことがあることを知っている。だから、時には諦める。だけれども、この世の中には諦めたりしたらいけないことがある。「ポニョは宗助が大好き」と言う。こんなにも真直ぐに人に自分の気持ちをぶつけることが出来る。このありえない一途さ。
この映画に対してはまだまだ言いたいことが山盛りある。説明不足だし、ひとりよがりの部分も多々ある。ポニョ以上に宮崎駿のほうがわがままではないか、なんて思うくらいだ。だけど、そんなこの映画が好きだ。
何の疑いも不安も感じることなく、自分の気持ちをストレートに相手にぶつけ、その胸に飛び込んでいける。そんなポニョが大好きだ。わがままで、自分勝手、でも純粋な女の子。そんな彼女が人間になって、どう生きていくことになるのか、それも見てみたいが、今は、このハッピーエンドを愛おしく思うだけでいい。
と、いうことで封切りから1ヶ月、ようやくポニョを見ることが出来た。うれしい。生きててよかった、なんていうと大袈裟だが、久々に素直な気分でよい映画を見た、と思えた。もちろん不満は多々ある。正直言うと、見た瞬間は「なんだ、これ?」と思わないでもなかった。だが、この欠陥だらけの映画が、今の宮崎駿の心境なら、それを受け入れてもいい、と思った。
とても小さな映画である。世界はこの小さな海辺の町の中にすっぽりと収まってしまう。その小さな世界の中の出来事は、実は、ここからは見えない大きな世界自体の縮図なのだが、そんなこと、あまり気にしなくてもいい。
海で暮らす金魚のポニョは、世界を見たくて、海の外へと冒険に出る。そこで、宗助という少年と出会い、彼のことが好きになる。アンデルセンの『人魚姫』を下敷きにしたお話は実にシンプルだ。彼女が人間になり、宗助と暮らしたいと願うことで、世界に異変が起こる。海が膨れ上がり、宗助たちが暮らす島は水の底に沈んでしまう。それでもポニョは宗助が好き。それだけ。
ポニョが、『となりのトトロ』のメイとそっくりだった。その事実にも感動する。この2人が似ているように、この2本の映画もまるで双子のようによく似ている。森と海、という場所。童話のようなお話。一途な想い。不思議な力。もちろんそんな設定ならすべての宮崎映画にある。だけれども、まるで合わせ鏡のようになったこの2本の映画は、単純さの中に、一番純粋な形で彼のオリジンが表現されている。
誰もが認めるように、宮崎アニメの最高傑作である『となりのトトロ』は、何度見ても泣く。そんな中でも一番泣けるシーンは、メイがさつきにわがままを言う場面だ。病気の具合が思わしくなくなったため、母の一時退院が不可能になったと聞かされたメイが、だだをこねる。さつきから、お母さんの病気が悪くなって死んでしまったらどうするの、と言われ、そんなのいやだ、と言い、それならお母さんが今日帰ってこれなくてもしかたないよね、と言われると、それもいやだ、と言う。お母さんに逢いたい一心で、思いっきりわがままを言いさつきを困らせる。
彼女の気持ちがとてもよくわかる。イヤなことはイヤなのだ。どちらかを取れとか言われても、どちらかなんて選択できない。そんなことって、ある。大人ならそこで我慢して、なんとかする。だけど、メイは我慢なんか出来ないから、わがままを貫いてしまう。お母さんに逢いに行こうとするのだ。
ポニョも同じようにわがままを押し通す。どうしても宗助が好きだから、宗助のところに行く!そして、人間になる。
なにがあっても、自分の我を通し、思いを実現する。そのためには世界がどうなったってかまわない。もちろん彼女には世界のことなんか考える余裕はない。大人なら、この世の中には自分だけの力ではどうにもならないことがあることを知っている。だから、時には諦める。だけれども、この世の中には諦めたりしたらいけないことがある。「ポニョは宗助が大好き」と言う。こんなにも真直ぐに人に自分の気持ちをぶつけることが出来る。このありえない一途さ。
この映画に対してはまだまだ言いたいことが山盛りある。説明不足だし、ひとりよがりの部分も多々ある。ポニョ以上に宮崎駿のほうがわがままではないか、なんて思うくらいだ。だけど、そんなこの映画が好きだ。
何の疑いも不安も感じることなく、自分の気持ちをストレートに相手にぶつけ、その胸に飛び込んでいける。そんなポニョが大好きだ。わがままで、自分勝手、でも純粋な女の子。そんな彼女が人間になって、どう生きていくことになるのか、それも見てみたいが、今は、このハッピーエンドを愛おしく思うだけでいい。