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映画・演劇のレビュー

『息もできない』

2010-05-03 21:28:36 | 映画
 こんなにも暴力的な映画だとは思いもしなかった。カメラは揺れまくるし、主人公は悪態をついて、殴りまくる。暴力に継ぐ暴力の連鎖。果てしない。

 だが、これはただの暴力映画ではない。それどころか、これはとても美しいラブストーリーだ。主人公の2人、サンフンとヨニは、手も繋がない。それどころかお互いに唾は吐くし、殴るし、悪態をつく。とんでもないことだ。なのにこの孤独な2つの魂は共鳴し、美しいシンフォニーを奏でる。

 チンピラと女子高生。「出会うはずもない2人が出逢い、恋に落ちる」というのって往年のアイドル映画『泥だらけの純情』ではないか。でも、それとこれとはまるで似てない。だいたい、2人は美男美女ではないし、恋になんか落ちない。2人でいるときも甘い空気なんかまるでない。唯一、夜の漢江のほとりで、泣くシーンくらいか。でも、あれは父親の自殺未遂で心が動転した状態で、膝枕してもらい甘えるという事実があるだけだ。甘い展開ではない。

 圧倒的な暴力は、その取りたてのシーンなのだが、幾度となく繰り返されるそのシーンで描かれるお金を借りた側の男たちの表情、対応がこの映画に広がりをもたらす。彼らの貧困や困窮は、彼ら自身の弱さが背景にあり、そこに悪徳金融業者はつけ込むのだが、弱者が抱える問題は、皮肉にも主人公2人の家庭を通して描かれる。

 サンフンは、父親の暴力により、妹と母を死なせてしまう。15年の刑期を終え刑務所から帰ってきた父を当然許せないのだが、それにもかかわらず、彼は父と同居する。子供の頃、暴力を振るわれた彼は、今では暴力を仕事とする。そして、父に暴力を加える。

 ヨニは、母が死んだショックからその死を記憶に留めないで屍のように生きるひきこもりの父と、お金をせびるだけの兄を抱えてけなげに生きる。

 限りない暴力の連鎖は当然の(突然の、でもある)主人公の死によって唐突に幕を閉じる。だが、映画はそこでは終わらない。それを乗り越える力を示す希望のラストシーンを用意するのだ。どんな状況下であろうとも生きていくという力が、そこには示されていく。

 昨日読んだ瀬尾まいこの『僕の明日を照らしいて』の描く暴力の痛ましさとはまるで性格が違うが、この2作品はそれぞれの可能性を指し示す。正しい答えなんかどこにもない。

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