この夏、パリの劇場でロードショーされていた。公開時凄く見たかったのに、あまりヒットせず、すぐに公開が終了し見逃していたから、ここで見ようか、とも思ったけど、いくらなんでもわざわざヨーロッパまで観光旅行にきて、そこで日本映画を見ることはないだろ、と思いやめた。
だけど、パリの映画館は凄いよ。北野武特集もしていたし、成瀬巳喜男もやっていたし、ダスティン・ホフマンの『卒業』なんかまで、リバイバル上映中。もちろん、シネコンでは新作もガンガン上映している。『猿の惑星 聖戦記』や『ダンケルク』が拡大公開されていた。それにしても『ねむり姫』なんていうマイナーなアニメ映画がフランスで公開されているのか、と驚いたのは事実だ。
ようやくDVDが出たので、見た。3月の劇場公開時、ヒットせず、地味に公開が終了したのがよくわかる映画だった。すごく頑張っているけど、いろんなところで、大事な部分が足りない。たとえば。岡山を舞台にしたのに、ロケーションが生かし切れていないのってもったいなくはないか。現実の世界と夢の中の世界が交錯し、ごっちゃになる中で、真実が明らかになるとかいう展開は、細田守の『サマーウォーズ』や昨年の大ヒット作『君の名は』の延長線上にあるのだが、あれらの作品との差は明白だ。
ファンタジー寄りになりすぎて、映画としてのリアルが損なわれたのが一番の敗因だろう。2020年、東京オリンピックを3日後に控えた2日間のお話というピンポイントが生かし切れない。なぜ、2020年なのか、という一番大事な部分のお話としての説得力が弱い。あんな程度の理由なら2020年でなくても構わない、とすら思う。この国はあと3年でどこに向かおうとするのか。そんな大きな問題に対する答えが提示されたなら、これは凄い映画になったはずなのだ。ピンポイントが実はそうじゃない、大きな未来への指標になる。そんな壮大な映画をここに勝手に期待していた。なのに、あんな単純な理由で2020年なのか? 政治的な問題を扱うと勘違いした僕もあれだが、2020年の近未来が日本の未来を占う。そんな映画を目指して欲しかった。
田舎で暮らす高校3年生のノーテンキな女の子が、ただ、元気に走り回るだけのお話で終わるのではもったいない。彼女の行動が日本の将来へとつながるようなドラマが見たかった。「ひるね」する少女というノーテンキさ。それが切実な未来とつながればけっこう凄くないか。なんか、残念だなぁ、と思う。舞台が東京オリンピックの開幕が目前に迫った夏の岡山県倉敷市・児島。もうそれだけで、ワクワクした僕は、ひとり妄想の映画を期待して撃沈した。せめて岡山から出ない映画なら、なんて、なんだかどこまでも勝手な妄想ですね。