なんとこれはゲートボールの話である。しかもお年寄りが主人公ではなく、女子高生の話だ。美人女子高生が高校にゲートボール部を作り、全国大会を目指す。これだけならどこにでもよくあるパターンの安易なスポ根小説、だと思う。だけど、これは違う。あり得ない、まさかの小説だった。こんなもんがこの世にはあるのかと思った。奇跡の感動巨編。(350ページもあるからね)
ゲートボール部なんて高校にあるのか、とか、全国大会ってインターハイだよね、とか、まさかね、とか思いながら、読み始めた。 すごい偏見があった気がする。知らないというのは怖い。ゲートボールは老人がするもの、というバカな思い込みしかなかった。
読みながら昔、(中学生の頃だが)部活でバドミントン部に入った時のことを思い出していた。クラスメイトから「バドミントンって女のする羽根打ちじゃん」と嘲笑われたことを思い出す。もう50年も前の話だ。昔はよくそう言われていたけど、今バドミントンは女子より男子のほうが競技人口は多いかもしれない。オリンピックとかのおかげでようやく社会的にも認知されてきたみたいだ。
これを読みながら、そんな昔のことを思い出す。中学のバドミントン部は楽しかった。先輩たちは凄く熱心でマイナースポーツに全身全霊で打ち込んでいた。暑い夏もランニングして、走った後はシャツを脱ぎバケツに汗を絞っていた。体育館の片隅にもバケツを置き、汗まみれのTシャツを絞ってから、また着ていた。
だから、高校に入ってからもバドミントンを続けることにしたけど、一年ちょっとで辞めてしまった。男子部員は少なく、みんな辞めていくからだ。つまらなくなった。それから6年間、ブランクがある。再開したのは働き出してからだ。高校に戻ってきて、クラブ指導をすることになって、できることは昔していたバドミントンくらいしかなくて希望したら「バドミントン部は顧問がたくさんいるから、無理」と言われた。新聞部と演劇部を任される。まさかの1年目がスタートした。
2年目にようやくバドミントン部に復帰したが、最初は生徒から相手にもされなかった。下手だからだ。1年目の目標は生徒に勝つこと。それから40年。
僕はまるで勝ち負けを気にしない。バドミントンをしながら、いつも誰としてもスコアを接戦にしてしまう。そんな癖がある。故意にではなく、気がつくとそうなっているのだ。楽しいゲームをするのが好きだから、そうなるのだろう。ただ、最後はやはり勝ちたいのだが、何故かよく負けるから腹立たしい(笑)。
この物語の主人公が、勝たないと意味ないじゃないさ、と言う。僕もそう思う。勝てば楽しいからだ。でも負けても楽しいことがある。それが接戦である。当たり前だけど、大事。僕は技術指導があまり好きではない。技術は最低限だけでいい。後はやっていたら、ついてくる。楽しいゲームを続けることで、気がつくと上手くなる。僕は誰かからバドミントンを教えてもらったことがない。自己流だ。(なのにずっと人には教えているけど)
今、高校をやめてからも2カ所でバドミントンを教えているけど(教えているなんておこがましいですが。まぁ一緒に遊んでいるだけ)講習に来ている人たちが楽しそうにしているのを見るのはうれしい。
昨年まで40年、高校生にバドミントンを教えていたけど、そこでも今と同じことをしていた。一緒にプレイするだけ。「僕に勝ったら、上手くなっているよ」という指導。勝つのはうれしいから、みんなが勝てるようにと願う。
結構勝てた気がする。何シーズンか、大阪府で3位になったけど、そこまで。まさかインターハイレベルには至らない。(近畿大会はなんとかなるから、出たいという人がいたら出してあげたけど)それ以上は僕のやり方では無理だし、それでもやり過ぎなくらい。
希望は府下でベスト8になることと、そのランクのキープだった。だから、ベスト4はよくない。分不相応。無理しているから、ね。だいたい8シードの維持も結構難しい。部員は毎年変わるし、最初から上手い子は公立高校だから、なかなか入学してこない。
そんなこんなを思い出しながらこれを読んでいた。(まだまだ書くことはあるけど、さすがにやめます)なぜ、ここまでしつこく思い出話を書いているのか、と不思議に思った人が多いはずだ。「あんたの昔話なんかどうでもいい」と読むことをやめた人もいるだろう。
この小説を読んで、主人公の3人が過ごしたたった半年くらいの日々が愛おしい。高校時代の貴重な時間を、彼らはゲートボールに賭けた。だが、このまさかの小説の結末はそんなレベルでは終わらない。
ラスト60ページの怒濤の展開を読み、それまでのすべてがひっくり返るくらいに驚くことになる。ゲートボールの試合に出るかどうか、だったはずなのに、なんと人生を賭けた戦いがそこから始まるのだ。
詳細は書かない。読むしかないし、読んで確認して欲しいからだ。
これはただのスポ根ではない。もちろん甘い話でもない。過酷な状況にある主人公のふたりの女の子たちが、それを一切表には出さないまま自らの置かれた現実と向き合っていく。
だが、実は敢えて「自分は脇役だ」と言うもうひとり、がいる。語り部でもある少年の存在がこの小説の一番大事な部分になる。名前もラストまで明かされない彼がもちろん主人公である。自分が何をしたいのかもわからないで生きてきた。ただ親のいいなりになって、自分がないまま15年生きてきた彼が、ゲートボール(が好きな彼女)と出会い、巻き込まれていく。ほんとに人生は何があるか、わからないから面白い。