昨年7月公開作品だ。コロナによる劇場封鎖明けの頃、ようやく封切られたアクション大作映画である。派手な娯楽映画で、映画館でこそ見るべき作品だったのかもしれない。実は公開直後に見に行こうかと思っていた。あの時は大スクリーンの映画館でこそ楽しむべき映画を見たい、と思ったからだ。スカッとするアクション映画を見て改めて映画の魅力を満喫したい、とも思った。でも、なんやかんやで、忙しくしているうちにすぐ小さなスクリーンに移行して消えていったので見逃した。ほかにも見たい映画はたくさんあったし。でも、とても気になってはいたので配信に助けられた。
時間を経て、冷静に今見たのがよかったかもしれない。去年の夏に見ていたらがっかりしたかもしれない。これは地味で暗い映画だ。大ヒット作『ランボー 怒りの脱出』のような(一見だけど)ノーテンキな映画ではなく、第1作『ランボー』の続編だからだ。
シルベスター・スタローンの2大ヒットシリーズ『ロッキー』と『ランボー』は彼の人生のすべてを象徴する。だから彼はそのキャリアのなかで、この2つを大事にした。すべての始まりは『ロッキー』だ。だけど、その話はここではしない。今回は『ランボー』のお話だからだ。82年日本でこの映画が公開されたとき、東宝東和は原題である『ファースト・ブラッド』を捨てて『ランボー』を日本語タイトルに選んだ。その結果映画は大ヒットを記録した。宣伝の勝利だった。アクション映画としては暗くて重い映画だったのに、それを過激なアクション大作として売り出して成功したのだ。スタローン自身も続編である第2作からタイトルを『ランボー』に変更した。ベトナム帰還兵の苦悩を描いた映画は、表面的はド派手なアクション大作に変貌した。3作目『怒りのアフガン』4作目『最後の戦場』でシリーズは完結したはずだった。だけど、彼はさらにもう1本作ることにした。それがこの映画である。そして、ここでちゃんと原点帰りした。第1作と呼応するようにタイトルも『ラスト・ブラッド』とした。過去の栄光にすがる映画ではなく今の自分の心境を語れる映画を作ろうとしたのだろう。その試みは潔い。老境に達した彼が自分の人生を振り返って自らのキャリアの幕引きに選んだ1作となった。
確かに相変わらず派手なアクションはあるけど、それだけではない。今度の戦いの舞台はメキシコだけではない。なんと最後は自宅(となる牧場)なのだ。ベトナムから始まった戦いは、アフガン、ミャンマーを経由して、最後にはアメリカのホームへと戻ってきて、そこを戦場にするのである。これはなんという大河ドラマなのか。壮絶である。
映画はスタローンのためだけに作られている。普通のノーテンキなアクション映画とは違う。彼の暗さが前面に押し出される。大事な娘を救出するためのメキシコの人身売買組織に単身乗り込み、敵を皆殺しにして助け出すというだけのお話にはならない。(最終的にはそれに近いお話なのだけど。しかも今回は戦争ではないけど。)ここにはきっとスタローンの個人的な問題が根底にある。人生の最後にどうしても決着をつけたい映画としてこの作品を作ったのだろう。映画会社の興行的な要請ではない、自分本位のシリーズ最終章を可能にしたスタローン劇場はここに幕を閉じた。