今年最初の映画は、2013年の台湾映画で、実際のパン屋さんが主人公のこの映画にした。昨年、妻が台湾で買ってきた映画だ。劇場公開時に見たかったけど、その時には台湾にいなかったので見れなかった、らしい。
以前、彼女がこのパン屋さんで買ってきたパンを食べた。確かにおいしかったけど、世界一、ってなぁ、と思う。(それに、ものすごく値段が高かったらしい)そういうのって、主観が入るから、ね。もちろん、パンは焼きたてが一番なので、台湾で買ってきて、数日後、日本で食べたって、味は劣化しているはず。それよりも昨日、彼女が徳庵(家から2つ離れたところにある駅)の「おいしいパン屋さん」(妻曰く)で買ってきたパンのほうが素晴らしかった。食パンはもちもちしていて柔らかく、塩パンなんて、塩味だけなのに、ふわふわしていて、最高においしい。
話がどんどん横道にずれてきている。やばい。これはあくまでも映画の話なのだ。さて、この映画は林正盛監督作品だ。彼の映画は信用できる。でも、なかなか日本では公開されない。今回のこの作品だって、日本での公開予定はないから、こうして字幕なしで見るしかない。まぁ、いつものことなのだが。
とても単純なお話なので、大丈夫だった。町のパン屋さんである主人公が、最後はパリで開催されたパンの世界大会に出場して優勝する、というよくある話。だが、見ていて、なんだか、幸せな気分になれる。実話だから、というのではなく、この映画を見ていると、このなんでもない青年のおいしいパンを作りたい、という気持ちがしっかり伝わって来るからだ。「世界一」というのは、問題ではない。それは事実ではなく気持ちの話だ。(でも、結果まで付いてきたけど)
以前見たフランス映画『タイピスト』を思い出した。それから『ドラゴンボール』も。これは武侠映画に近い。バトルシーンと、修行シーンが交互に現れる。さらには、強くなればさらに強敵が現れるし。そして、最後は世界と戦う。
よくある話なのだ。でも、なんだか気持ちよく見れる。それはこの話の中心が「パン」だからではないか。贅を凝らした料理対決でも、格闘技でもない。そこには、ふわふわのパンがある。食べたら、というか、口の中に入れたら、すぐに消えてしまう。なんだか儚い。でも、瞬間的に僕たちを幸せにしてくれる。そんなパン作りのために、一生懸命になる。元旦からそういうお話を楽しむ。なんだかいい気分だ。
以前、彼女がこのパン屋さんで買ってきたパンを食べた。確かにおいしかったけど、世界一、ってなぁ、と思う。(それに、ものすごく値段が高かったらしい)そういうのって、主観が入るから、ね。もちろん、パンは焼きたてが一番なので、台湾で買ってきて、数日後、日本で食べたって、味は劣化しているはず。それよりも昨日、彼女が徳庵(家から2つ離れたところにある駅)の「おいしいパン屋さん」(妻曰く)で買ってきたパンのほうが素晴らしかった。食パンはもちもちしていて柔らかく、塩パンなんて、塩味だけなのに、ふわふわしていて、最高においしい。
話がどんどん横道にずれてきている。やばい。これはあくまでも映画の話なのだ。さて、この映画は林正盛監督作品だ。彼の映画は信用できる。でも、なかなか日本では公開されない。今回のこの作品だって、日本での公開予定はないから、こうして字幕なしで見るしかない。まぁ、いつものことなのだが。
とても単純なお話なので、大丈夫だった。町のパン屋さんである主人公が、最後はパリで開催されたパンの世界大会に出場して優勝する、というよくある話。だが、見ていて、なんだか、幸せな気分になれる。実話だから、というのではなく、この映画を見ていると、このなんでもない青年のおいしいパンを作りたい、という気持ちがしっかり伝わって来るからだ。「世界一」というのは、問題ではない。それは事実ではなく気持ちの話だ。(でも、結果まで付いてきたけど)
以前見たフランス映画『タイピスト』を思い出した。それから『ドラゴンボール』も。これは武侠映画に近い。バトルシーンと、修行シーンが交互に現れる。さらには、強くなればさらに強敵が現れるし。そして、最後は世界と戦う。
よくある話なのだ。でも、なんだか気持ちよく見れる。それはこの話の中心が「パン」だからではないか。贅を凝らした料理対決でも、格闘技でもない。そこには、ふわふわのパンがある。食べたら、というか、口の中に入れたら、すぐに消えてしまう。なんだか儚い。でも、瞬間的に僕たちを幸せにしてくれる。そんなパン作りのために、一生懸命になる。元旦からそういうお話を楽しむ。なんだかいい気分だ。