今年の課題図書が決定した(らしい)。本田有明さんの『歌え! 多摩川高校合唱部』という本である。(らしい。たぶん) そこで早速読んでみた。(えへん。今年から学校図書館の館長になったのだ。)僕は「クラブもの」の小説にはかなりうるさい。しかも、大体この課題図書に選ばれる作品はいつもつまらないというのがパターンなので、今回もまるで期待せずに読み始めた。案の定、つまらない。読みながら、ほっとした。(なんで?)
この小説のダメなところは個々の人間がまるで描けていないことにある。複数の人物を主人公にしたなら、視点が定まらず、つまらなくなることも多い。これはまさにその見本のような作品だ。下手だなぁ、と思いつつ、仕方なく読み続ける。(これも僕の仕事だからね。)
だが、後半に入ってきて、この小説のそっけなさが、実はかなり意図的なものであることが分かってくる。そのへんから、だんだん本気で読み始めることになる。
これは実話を基にした作品である。それは最初のほうから、気付いていた。多摩川高校は多摩高校をモデルにして、登場人物もそこに実在した高校生をそのまま使う。もちろんフィクションとして再構築してあるから、実際の出来事がそのままではあるまい。だが、モデルとなった人物への配慮はちゃんとなされてあるはずだ。だから、最初はなかなかお話が弾まないのだ。現実は小説のようにドラマティックにはいかない。いくはずもない。だが、徐々に一見そっけないその描写の積み重ねの先に、ドラマティックな要素が見えてくる。
やがてNコン全国大会にむけて、彼らの心がひとつになっていくのだ。そこには嘘はない。小説は嘘から真実を紡ぎだしてくるものだが、この小説は本当から、嘘を紡ぎだす。ここで言う嘘とは虚構の高みを意味する。とてもおもしろい、ということなのだ。その点に関しては自分の目で確かめてもらいたい。
『「ないない尽くし」の中で、仲間とともに奮闘するのが青春であるのなら、そうした普遍的な青春物語として読んでいただいてもおもしろいだろう』と作者があとがきで書いている。その通りなのだ。もちろん、それだけではないことはこの言い回しからも明白だろうが。
ここからは余談です。
高校時代クラブ活動をすることは、勉強なんかより、ずっと大事なことだ。そこで築かれる人間関係とか、好きなことに全力で取り組むことの尊さとか、生きていく上での力となると信じる。文科省はあまり真面目にそんなことを考えていないようだが、学力だけではなく、もっと大事なものがそこにはあることを、わかってもらいたい。今の時代、生徒以上に先生がクラブをやりたがらない風潮がある。先生たちはあまりに忙しすぎるのも、事実だ。だが、それでいいとは、思えない。教育現場に何が必要なのか、ちゃんと上の人たちにも考えてもらいたい。
この小説のダメなところは個々の人間がまるで描けていないことにある。複数の人物を主人公にしたなら、視点が定まらず、つまらなくなることも多い。これはまさにその見本のような作品だ。下手だなぁ、と思いつつ、仕方なく読み続ける。(これも僕の仕事だからね。)
だが、後半に入ってきて、この小説のそっけなさが、実はかなり意図的なものであることが分かってくる。そのへんから、だんだん本気で読み始めることになる。
これは実話を基にした作品である。それは最初のほうから、気付いていた。多摩川高校は多摩高校をモデルにして、登場人物もそこに実在した高校生をそのまま使う。もちろんフィクションとして再構築してあるから、実際の出来事がそのままではあるまい。だが、モデルとなった人物への配慮はちゃんとなされてあるはずだ。だから、最初はなかなかお話が弾まないのだ。現実は小説のようにドラマティックにはいかない。いくはずもない。だが、徐々に一見そっけないその描写の積み重ねの先に、ドラマティックな要素が見えてくる。
やがてNコン全国大会にむけて、彼らの心がひとつになっていくのだ。そこには嘘はない。小説は嘘から真実を紡ぎだしてくるものだが、この小説は本当から、嘘を紡ぎだす。ここで言う嘘とは虚構の高みを意味する。とてもおもしろい、ということなのだ。その点に関しては自分の目で確かめてもらいたい。
『「ないない尽くし」の中で、仲間とともに奮闘するのが青春であるのなら、そうした普遍的な青春物語として読んでいただいてもおもしろいだろう』と作者があとがきで書いている。その通りなのだ。もちろん、それだけではないことはこの言い回しからも明白だろうが。
ここからは余談です。
高校時代クラブ活動をすることは、勉強なんかより、ずっと大事なことだ。そこで築かれる人間関係とか、好きなことに全力で取り組むことの尊さとか、生きていく上での力となると信じる。文科省はあまり真面目にそんなことを考えていないようだが、学力だけではなく、もっと大事なものがそこにはあることを、わかってもらいたい。今の時代、生徒以上に先生がクラブをやりたがらない風潮がある。先生たちはあまりに忙しすぎるのも、事実だ。だが、それでいいとは、思えない。教育現場に何が必要なのか、ちゃんと上の人たちにも考えてもらいたい。