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映画・演劇のレビュー

ともにょ企画『さいはて』

2012-05-01 21:59:51 | 演劇
これは傑作だ、と言ってもいい。ただ、あまりにきれいに納めてしまうところは、物足りない。鈴木友隆は、一見すると気を衒うように思わせといて、最終的には、正攻法で見せる。ちょっとストレート過ぎて、少し照れるけど、ちゃんとこれを真摯に受け止めよう。彼の素直な想いは甘さとは無縁だ。砂糖菓子のような芝居ではない。ハードですらある。でも、最終的にはハートウォーミングになる。負の連鎖を断ち切るために、その根源にまで立ち戻ろうとする。性善説が根底にはある。人を信じ切れない時代のなかで、それでも人は最初から悪ではないと断言する。遡ると問題は解決する。そこまで行こう、と言うのだ。

 24時間営業のめしやを舞台にして、理不尽なクレームをつける男と、その対応に追われる男。そこに突然現れて、仲裁に入ろうとするへんなおじさん。さらには、バイトの同僚の女の子や、居合わせた客で、そのクレーマーをボコボコに殴る暴力男も含めて、この場所で織り成される人々の、それぞれのドラマが描かれていく。

 最初の衝撃的な暴力と、それを収束させる訳知り顔のおじさんを突破口にして、主人公である「僕」のドラマを中心に据えて、この世界を、鳥瞰的に見せていく。そのなかで、これは「どこにでもいる」「誰のものでもある」そんなお話としてそのエピソードのすべてが収束していくように描かれていくのだ。
 
 事なきを得るため、妥協するのが人の世の常だ。だが、ここには極端に走る人がいる。どこかで」何かが崩れている。これはない、というような事やそんな人、がいる。時には主人公の視点をどんどん離れて、このお話は、彼らとかかわりながら、人間の中にある暴力的な衝動や、それぞれの問題がオムニバス風に連鎖して描かれていくことにもなる。

 鈴木さんはこの作品を、演出の仕方を変えた2ヴァージョンで見せる。2作品は同じ台本だが、キャストも違う。その2つは、それぞれが動と静をイメージしたものらしい。僕が見たものは「動」ヴァージョンで、感情も、動作も、とても、激しい。オーバーアクトがこの芝居の内容ととてもよくマッチしていた。この暴力的衝動をよく体現する。だが、このドラマを内向的な静かな芝居として見せるのも面白い試みかもしれない。もうひとつのヴァージョンも見たかった。




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