今年も唐十郎の新作が見られる。ただそれだけでうれしい。精華小学校から場所を大阪城公園、太陽の広場に移しても、当然のことだが、いつもながらの唐ワールドである。
2幕構成、途中に15分の休憩が入る。上演時間は休憩を入れても1時間40分ほどだ。この短さが今ではお約束になっている。最初の頃はこの尺になじめなかった。この長さでは、充分なお話なんか展開はできない。あまりに尺が短か過ぎるからだ。でも、今では慣れた。もう大丈夫だ。
これはいつもの唐さんの世界で、そこには理屈なんかない。これはもうお話ですらない。いつもの世界が、同じように展開するだけの話なのだ。新しさとは無縁。誰もこの内容をわかろうとはしない。それで、ただ楽しむ。感じるだけでいいのだ。そう思うと、もう何も気にならない。
稲荷卓央の主人公が、懐かしい場所へと導かれるようにやってくる。そこで彼はさまざまな人たちと出会い、敵対する人たちとも、ちゃんと対立しながらも、やがて大きな流れに飲み込まれる。ここ数年、ずっとこのパターンだ。そこに唐十郎のへんなおじさん(おばさんのときもある。今回はセーラー服でした!)が現れて、ストーリーに絡んだり、絡まなかったりしながら、時にはお話をミスリードもしたり、なんかもして、楽しませる、というのが定番だ。
先にも書いたのだが、最初の頃は、どうしても、過去の熱かった時代の作品の記憶が邪魔するから、それが「なんか嫌だなぁ、」と思ったこともあったが、最近はそんなことは思わない。伝統芸能でも見る気分だ。変わらない世界を今回も同じように旅する。紅テントに入って、ぎゅうぎゅう詰めの桟敷の客席に腰を下ろして、けれんみたっぷりの世界に浸る。ただそれだけのことを毎年1回楽しむのだ。これはそんな芝居だ。
2幕構成、途中に15分の休憩が入る。上演時間は休憩を入れても1時間40分ほどだ。この短さが今ではお約束になっている。最初の頃はこの尺になじめなかった。この長さでは、充分なお話なんか展開はできない。あまりに尺が短か過ぎるからだ。でも、今では慣れた。もう大丈夫だ。
これはいつもの唐さんの世界で、そこには理屈なんかない。これはもうお話ですらない。いつもの世界が、同じように展開するだけの話なのだ。新しさとは無縁。誰もこの内容をわかろうとはしない。それで、ただ楽しむ。感じるだけでいいのだ。そう思うと、もう何も気にならない。
稲荷卓央の主人公が、懐かしい場所へと導かれるようにやってくる。そこで彼はさまざまな人たちと出会い、敵対する人たちとも、ちゃんと対立しながらも、やがて大きな流れに飲み込まれる。ここ数年、ずっとこのパターンだ。そこに唐十郎のへんなおじさん(おばさんのときもある。今回はセーラー服でした!)が現れて、ストーリーに絡んだり、絡まなかったりしながら、時にはお話をミスリードもしたり、なんかもして、楽しませる、というのが定番だ。
先にも書いたのだが、最初の頃は、どうしても、過去の熱かった時代の作品の記憶が邪魔するから、それが「なんか嫌だなぁ、」と思ったこともあったが、最近はそんなことは思わない。伝統芸能でも見る気分だ。変わらない世界を今回も同じように旅する。紅テントに入って、ぎゅうぎゅう詰めの桟敷の客席に腰を下ろして、けれんみたっぷりの世界に浸る。ただそれだけのことを毎年1回楽しむのだ。これはそんな芝居だ。