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映画・演劇のレビュー

劇団ひまわり 大阪劇団員公演『親の顔が見たい』

2014-11-26 21:12:42 | 演劇

とても緊張感のあるいい舞台だった。以前、劇団大阪がこの台本を取り上げたのだが、それを見た時、あまりに演じる保護者たちが高齢すぎて、リアリティがないと思った。今回は反対に、いささか若すぎてリアリティがないのではないか、と危惧した。だが、何の何の。このメンバーによる作品が、ここまでリアルな作品になっていたのだ。それには驚かされた。若いキャストが無理して演じるのではない。彼らは等身大の中学生の両親を見事に演じた。それは教師たちも同じだ。演じる役者たちが実に上手い。統制が取れている。すべては演出(三宅加奈子)の力だ。

この作品のよさは、エゴのぶつかりあいを、理屈ではなく、本能的なものとして見せていることだ。大人げない、というのではない。彼らは人間の本能のまま、行動し、平然としている。それはここには不在の子供たちも同じなのだろう。クラスメートを自殺に追い込んだにも関わらずまるで罪の意識はない。こんな子供たちの顔は見たくもない、と思わせる。タイトルの『親の顔が見たい』というのがメタファーにさえなっている。

教師たちの対応もまるで機械的で、怖い。彼らが何を考えているのか、わからない。とんでもない事件が起きて混乱しているようには見えない。事態を収拾せせるために腐心しているようにも見えない。では、何をしているのか。よくわからないのだ。変に落ち着き払っていて、感情が見えない。

この作品のすばらしいところはそういうわかりにくさにある。説明的にならいくらでもできるような話だ。台本はもっと説明的になっているはずだ。だが、それを演出が、故意にわからなくした。熱くなるのは、後半、乱入してくる死んだ女の子のバイト先の店長くらいか。終盤、登場して、去っていく死んだ女の子の母親(演出の三宅加奈子さんが演じる)も、決して熱くなり取り乱してはいない。行動や言動とは裏腹に実にクールだ。自殺した娘の通夜を抜けてわざわざここまできたのにもかかわらず、である。

一応、建前は、親のエゴがぶつかり合う、という展開になっている。だが、それだけには収まらない。しかも、ここに描かれるテーマは「いじめ」かもしれないが、この芝居はそんな次元にとどまらない。会話劇のはずなのに、会話がまるで噛み合わない。コミュニケーションがなされているはずなのに、ここにはまるで、相互理解はない。最初から彼らにはそんな気がないようにすら見える。

ここにはこんなにもたくさんの人たちが登場するのに、彼らはお互い別々の存在で、わかりあう気はさらさらない。そこには断絶しかない。自分の子供を守るために、というよりも、ただ、自分のためだけに行動している。相手のことなんか考えていない。そんなぞっとするような関係性をこの作品は提示する。恐るべき作品だ。




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