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映画・演劇のレビュー

『ブラックハット』

2015-05-27 20:28:39 | 映画
マイケル・マンの5年振りの新作である。『ヒート』以降、僕はマイケル・マンの信者だ。彼の渋い映画の虜だ。アクション映画の世界において他の追随を許さない。

派手なだけで、空疎なハリウッド映画には辟易している。CGを多用して、火薬の量ばかりを増量すればいい映画になるとでも思っているのか、そういうバカ映画にはもううんざりしている。目が疲れるばかりのうそくさい映画はもうこりごりなのだ。

彼の映画は信用できる。ヒリヒリするような痛みを伴い、リアルなドキドキでお話を引っ張っていく。何もないシーンにまでも、身構えてしまう。極度の緊張をどこまでも持続する。先の読めない展開は、今ある「世界」の抱える現状をリアルに踏まえたもので、絵空事ではない。この先何があるかわからない。

タイトルの『ブラックハット』とは、凶悪ハッカー、という意味で(僕は「黒い帽子」だと思っていた。バカです。)ネット上の目に見えない敵を、じりじりと追い詰めていく。香港、アメリカ、シンガポール、インドネシア。4カ国75カ所(と、確かチラシか何かに書いてあったような)を舞台にして、巨悪である姿の見えな敵に迫る。相手は簡単に原発を破壊した。市場の混乱をお膳立てした。何の要求もしてこない。何が目的なのかもわからない。

こんなにもカッコよく、スタイリッシュで、緊張感のあるハード・アクション映画を常に作り続ける彼からは一時も目が離せない。ジョン・ウー亡き今、(勝手に殺すなよ)信頼のブランド、マイケル・マンである。

しかし、最初の1時間半を過ぎたところから、少しずつ雲息があやしくなる。主人公のひとり(なんとワン・リーホンだ)が、簡単に死んでしまう展開に息を飲む。マン得意の銃撃戦だ。だが、そこからがよくない。マレーシア経由で、ラストの舞台となるジャカルタにたどりついたときから、息切れしてしまう。敵の姿がはっきりしたとき、どうしてこんなにもボルテージが落ちてしまったのか。巨大な謎、陰謀なんてどうでもいいけど、彼らが挑む敵はもっと凄い奴でなくてはならない。あんなつまらん奴であってはならない。ネタばれから後、こんなにもしょぼくなるなんて思いもしなかった。そこまでの2時間の興奮が一気に萎んだ。

『コラテラル』では、当時はまだフィルム撮りが主流だったのに、率先してデジタル撮りを敢行して黒を際立たせるシャープでクールな映像をものにした彼が、今回も手持ちカメラや、ドキュメンタリータッチの映像も駆使して、臨場感溢れる世界を提示した。安易な映画ではなかったはずだ。冒頭の原発のシーンなんて、リアルで、怖い。それがクリックひとつで可能になるという現実に身震いする。ネット上にしか存在しない敵を同じようにネットを駆使して追い詰める。そういう映画をアクション映画に仕立てる。凄い自信だ。それだけに、結末部分の弱さと、それを単純な捕り物として見せるしかない決着のつけ方には異論がある。どうしてここまで尻つぼみになったのだろうか、台本の不備としか、言いようがない。惜しい。悔しい。


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