初めてこの映画のことを知った時、こんなタイトルはありえない、と思った。とてもじゃないけど、これは映画のタイトルではない。だけど、今、見終えたとき、このタイトルでよかった、と思わされる。確かにこれはちゃんとした娯楽映画なのだけど、従来のパターンには収まりきらない映画だ。そしてこのストレートなタイトルはこの映画を適切に伝える。
ここでは3つの時代が描かれる。1999年。6年後の2005年。さらに14年後の2019年。19歳。25歳。39歳。ある男のお話だ。時代が変わり、ヤクザが生きづらい時代がやってきた。そんな中で自分らしく生きることを望むがかなえられない。ヤクザだったことが枷となり、更生したくても叶わない。そんなひとりの男とその周囲の人々の物語である。
前半はよくあるヤクザ映画のパターンでシネスコサイズのスクリーンで、残酷な描写も多々あるのだが、一転して後半はビスタサイズになり、静かな映画に変わる。14年の刑務所暮らしを終え、娑婆に戻ってくる、というここでもよくあるパターンを踏襲するのだが、その描かれる内容は今までのヤクザ映画とはまるで違う。戻ってきた世界は彼が今まで生きた世界とはまるで違う世界だ。そんな生きづらい時代の中で、耐えていく姿が描かれていく。別にヤクザを肯定するのではないけど、彼らの置かれた過酷な現実を直視しながら、それを自業自得だなんて思えないし、なんだか切ない。自分の舎弟に刺されて死んでいくというラストだって今までのヤクザ映画の図式とはまるで違う意味を持つ。
こんな世界で生きる男を綾野剛が演じる。映画はこの主人公の姿を淡々と追う。3つの時間でそれぞれ別々の自分を演じる。ひとりの男の3つの時間。綾野剛はその現実をしっかりと演じ分けていく。同じ人物の10代、20代、30代の終わり。生きる歴史をクロニクルではなく3つの時間として提示した。まるで別々の3本の映画を見た気分だ。
確かにこれはどこかで見たような映画なのだ。だけど、今まで見てきたヤクザ映画とはまるで違う。これはヤクザ映画ではなく家族を描く映画である。もちろん、『ゴッドファーザー』だって家族映画だ。だけど、それとも違う。このテイストを敢えて選び、そういう図式の中で彼を見守る。感情移入を拒否するわけではないが、目の前の事実を客観的に描いていく。藤井道人監督は今まで作られ続けてきたヤクザ映画の延長線上に今の時代のヤクザ映画をこんなふうに作る。こんなにも既視感はあるのに、どこにもない映画と向き合い、観客である僕たちはそこに驚きを隠せない。とても不思議な感触の映画である。