習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ワルボロ』

2007-09-22 09:25:06 | 映画
 1080年、基地の町、東京の外れ、立川。ここを舞台に、少年たちが喧嘩に明け暮れ、突っ張って、不良していく姿が描かれていく。

 かってこんな時代があった。どうしようもない閉塞感を打破するために、彼らは《不良》として生きる。

 これは実はかなりシリアスな映画である。青春コメディーというスタイルに見えて実は硬派な青春を、ノスタルジックにひとつの時代を回顧する映画として作られてある。かって『ビ・バップ・ハイスクール』シリーズを作った東映がもう一度ツッパリ映画を作るなんていう安易な企画ではない。そんなアナクロはもう通用する時代ではない。既に時代はこういう不良文化を完全に過去の物にしてしまった。井筒監督が『岸和田少年愚連隊』を撮った頃はまだおおらかだった。こういう不良少年映画が成立できる土壌が残っていたが今は違う。(まぁ、それでも例外はある。先日この秋公開される『クローズ・ゼロ』の予告編を見たが、三池崇史監督は治外法権である。あの人はどんな時代であろうが、問答無用にわが道を行くだけだからなぁ。)

 この映画を撮った新人の隅田靖監督は、なぜ今この素材を扱うのか、という視点をおざなりには出来ないみたいだ。とても真面目な人で好感が持てる。これは80年代へのノスタルジーではない。いらいらさせられるようなどうしようもなさに風穴を開けるには、切れてしまうしかない。しかし、ただバカみたいにブチ切れるわけではない。だいたい、切れて不良になる、ということが楽なことだなんて言えまい。そんな事この映画を見るまでもなく、普通に生きるほうが楽なのは誰の目にも明らかだ。ならば、なぜ不良なんかになるのか。

 映画の終盤で松田翔太演じる主人公の少年が言う。「仲間がほしかったから」と。このあまりにシンプルな言葉に感動する。今ある付き合いは表面的ものでしかない。自分のために、みんなのために生きること。不良にならなくても友だちなんて作れるはずだなんて言わないで欲しい。本気で何かをしている人でなくては意味がない。ただ、流されて受験に生きるような奴らではなく、体を張って喧嘩に明け暮れる不良だから通じ合えるものがある。そんな考えがこの映画の根底には流れている。(もちろん不良が偉いなんて言ってない。)

 仲村トオルが、ヤクザをしてる伯父さん役で出ているのも面白い。当然彼は『ビ・バップ』のトオルの20年後としてイメージされている。彼が思い切りはじけたキャラで主人公に絡むのだが、時々シリアスな怖さを滲ませるのがいい。ただのコメディーリリーフではない。子供たちの時間の後にあるリアルな日常を覗かせる。

 さらに、80年代を象徴させるいくつもの風俗、風景が背後に描かれるのもいい。とても丁寧に再現されてあり、懐かしい。うら寂れた町が、なぜか心に沁みてくる。こんなに派手なアクション映画なのに、なんだかとても感傷的な映画だったりするのだ。特別な映画だとは言わないが、こういう丁寧で誠実な映画と出会うと、ほっとさせられるのも事実だ。

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