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映画・演劇のレビュー

原田マハ『太陽の棘』

2015-01-29 20:13:35 | その他
戦後すぐの沖縄。もちろん、アメリカの統治下にある。そこにアメリカからひとりのまだ若い男がやってくる。アメリカの基地勤務を命じられた精神科医だ。戦後の混乱期の沖縄という特殊な舞台で、さらに特別な場所、ニシムイ美術村という画家たちが集う場所。そこでアメリカ人と日本人が、絵画を通して心を通い合わせていく。

政治的な問題をおざなりにはできないけど、それよりもまず、ここには生きていくうえで何よりも大事で必要なものが描かれる。その普遍性がこの作品の一番の力だ。絵を描くことが生きる糧で、戦争が終わり、自由に自分たちの表現が可能になったと喜ぶ前に、自分たちには絵の具もキャンバスもない。体を寄せ合って助け合いながら生きようとするが、生きるよすがもない。そんな中で、偶然ここにやってきた米兵相手に観光用の絵を売るのは、恥辱的な行為か。そうではない。たとえ、商品として妥協したものであろうとも、自分たちの絵が売れることは嬉しい。それでも、それは自分たちが必要とされ、理解されたことだと思う。彼らの望む絵を描き、それが生活の助けになる。

これを、アートを通した日米の友情物語として、そういう「美談」として、理解するほど単純ではない。あくまでもこれは個々の物語だ。ニシムイの画家たちと、そこに通うようになった米軍の軍医たちとの物語だ。そしてまずエドとタイラのお話だ。

昭和23年という時間、沖縄の山の中に作られた彼らのコミューン。そんな夢の場所に遭遇したアメリカ人。でも、そこは理想郷ではない。そこにある現実と彼らは向き合いながらも、絵を描くという自分たちにとって神聖な行為を通して心を通い合わせる奇跡。理想と現実、夢と現実のはざまでのほんの一瞬の邂逅が描かれる。

自然災害も含めて(台風だ)いくつもの困難が彼らを襲う。アジアの辺境に送り込まれたアメリカ人医師と、ここでなら絵画が描けると信じてやってきた日本人(沖縄人)。双方の視点をないまぜにしながら、お互いの置かれた状況を踏まえて、当時のリアルが再現されていく。実話をベースにしながら、あくまでも小説として、原田マハの視点から両者の心の交流が描かれていく。ノンフィクションではなく、原田さんの理想とする生き方の物語として読んだほうが面白い。リアルよりも、この状況のなかで、両者がどういう生き方をするのか。それをどちらかの視点にとどめるのではなく、どちらもある、という視点から客観的に見る。そこに生じる普遍性の先にある答えを大切にしたい。

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