これを3Dで見るのは、どうだかなぁ、と思った。人間ドラマに3Dは似合わない。でも、ゼメギスは『ザ・ウォーク』を作ったのだ。『ラースとその彼女』のクレイグ・ギレスピー監督である。これをただの海難映画にも、スペクタクル映画にもしないはず。その上で3Dであることの利点を生かして、意味のある映画に仕立てるはずだと思い、劇場に行く。
だが、そうではなかった。全編暗いシーンばかりでこれは3Dにしなくてはならないような映画ではなかったのだ。2Dで見るほうが、この映画の意図は十分に伝わるタイプの映画だった。まず、そこは確かであろう。残念である。ディズニー映画であることが、これを3D作品に向かわせることとなった理由だろうがそういうのは無意味だ。
アトラクション映画に於いては3Dも確かに効果的だろうが、そうじゃない映画にとっては、邪魔なものになる場合が多い。だから、僕は映画に集中するため『オデッセイ』は2Dで見たし、それが正解だったと、思う。これもまた、2Dのほうが絶対にいい。
これは『ポセイドンアドベンチャー』のようなスペクタクル巨編ではなく、(今なら、あの映画こそ3Dで作られるはず)もっと静かで小さな映画である。たった4人の救命隊員が真っ二つに割れて沈まんとする大型タンカーの救助に向かい、12人乗りの救助艇で32人もの人たちを乗せて、嵐の中、帰ってくる。まぁ、こういうふうに書けば、いやはや、これは壮大なスペクタクルじゃないか、と思わせるかもしれない。宣伝もそういうふうにしている。だが、映画自体は地味。そういうんじゃないだ、と言いたくなる。
1950年代の田舎で起きた小さな出来事。でも、彼らの勇気と奇跡は誉め称えられていい。でも、それはたまたまの奇跡で、本当なら彼らも死んでいた可能性のほうが高い。だから、これは神様の恵みである偶然の奇跡なのだ。映画は彼らの勇気を称賛し、こういう英雄的行為を鼓舞するのではない。世の中にはいろんなことがあるからね、と、そういうふうに描いてある。そこが クレイグ・ギレスピー監督作品らしい。映画は主人公の男女がたまたま出会うシーンから始まり、命を賭けた旅から帰ってきた彼と彼女が抱き合うまでが描かれる。恋人たちの心がひとつになるまでのお話。小さな小さなお話なのである。