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映画・演劇のレビュー

真紅組プロデユース『幾望』

2018-05-18 19:04:16 | 演劇

 

これはとても難しい芝居だ。円形舞台で中央のアクティングエリアだけではなく、どちらからというと、その周辺の部分を中心にして芝居を作るなんて、そんなこんなの困難に挑む。それって、装置だけの問題だけではない。お話の展開のさせ方も、だ。敢えて困難に挑む作り方に徹した。これだけの壮大なお話なのに、たった100分の尺に収めようとする。2時間半くらいのボリュームなのに、それを駆け足で見せるからお話に奥行きがなくなる。どうしてこんなことになったのか、気になる。色んな部分で様々な仕掛けを用意しながらそれが不発に終わっている。だけども、見終えた時に、この壮大な挑戦に拍手を送りたいと思わせる。安易に作ることをよしとせず、どこまでも困難な茨の道を行く。そういう姿勢が素晴らしい。時間が足りなかったのではないか。時間切れでこういう形になってしまったのだろう。きっと不本意な仕上がりだ。

 

地味な話なのだ。壮大なドラマだと先には書いたけど、舞台にすると、とても地味な展開にしかならない。それを派手に見せるためには、群像劇として、エネルギッシュに見せるしかない。さまざまな人たちが入り乱れ、みんながそれぞれの夢を持ち、ここで生きる。大阪の町を舞台にして庶民の哀感を描きながら、彼らが大胆に自由に生きる姿を絢爛豪華に描く。華やかなダンスシーンやアクションを散りばめた芝居なら得意なのだが、今回はそうじゃない。お話としては彼らの最高傑作『おしてるや』の流れを汲む作品なのだが、ストーリーのシンプルさが作品の力にならず、反対にお話を単調なものにしてしまう。

 

対面舞台で、対面芝居ではなく背中を向け合っての会話もある。あっちこっちが世界を広げるのだが、人と人とが正面切って向き合わない、という大胆さが生かし切れてない。混沌とする部分が作品自体のエネルギーにまで高められないのだ。主人公の2人についてもそうだ。ふつうなら彼らの出会いから始まるラブストーリーに仕立てたらいいのだけど、そうはしないことで、もっと大きな世界を描こうとしたはずなのに、消化不良になってしまう。彼らが結婚して夫婦付随で天体観測する話だと思っていたのに、なんとふたりは結ばれない。だからといってこれは悲恋モノではない。2人がそれぞれ自分の道を見つけて生きる。月蝕の夜、一瞬だけ心を通い合わせる。3年間ずっと想いを秘めていながら、それを言葉にしてぶつけることはない。

 

シンプルなお話なのに、わかりやすいストーリーにはしない。きっと3時間くらいの作品に仕上げたなら、感動的なものになる。滝田洋二郎監督の傑作『天地明察』のような作品になるはずなのだ。ストレートすぎて、ドラマとしての奥行きに欠けるものになったのが惜しまれる。でも、安易なレベルで成功することよりも、失敗を怖れず、挑戦する舞台作りが凄くいい。いろんな困難を引き受けて、敢えて背負い込んで、ひとりの男がみんなに支えられて、みんなを幸せにする、という壮大な物語を立ち上げようとした。その心意気が気持ちいい。

 


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