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映画・演劇のレビュー

『孤狼の血』

2018-05-18 18:57:41 | 映画

 

白石和彌がついに本格的に東映ヤクザ映画に挑む。しかも、最初からいきなり頂点を極めることになる。こんな大胆な挑戦に心躍る。ウォーミングアップなんか要らない。やる以上は最初から頂上決戦だ。深作欣二の最高傑作『仁義なき戦い』にケンカをふっかける。チンピラが組長の首を獲るようなもんだ。大胆にもほどがある。しかも、時代は70年代ではなく21世紀。もうヤクザ映画なんか誰も作らない。そんな時代にケンカをかける。暴挙である。優しい時代に断固NOという。アナクロ企画といわれるか、そんなこともお構いなし。とことんやってやろうじゃないかという心意気。でも、ヤケクソではなく、実に丁寧に周到な計画のもと、東映映画の金看板を背負って気負うことなくこの超大作を作り上げる。

 

最初からテンションはマックスだ。豚のクソを口にねじ込むえげつないシーンから始まり、キレ切れヤクザの竹野内豊は狂犬そのもの。そして、主人公の役所広司の登場だ。昭和63年。広島、呉市。暴力団の抗争。警察の暴走。よくあるパターンの踏襲が今の時代とても新鮮に映る。どこにでもごろごろ転がっていたネタが、今更なのに、なぜか僕たちをドキドキさせる。役者たちがみんな思いっきり振り切れている。命がけでこの映画に挑んでいる。もうこんな映画は作られないから、最後のチャンスだから、と。そんなギリギリな感じが映画を輝かせる。

 

だが、中盤から迷走する。さらには終盤、なんと役所広司が死んでしまったところから、文字通り主役不在のドラマは失速するしかなくなる。この映画がどこに行こうとするのか、それすら見えなくなる。松坂桃李が主人公の重責を負うのだが、荷が重い。クライマックスなのに、映画は急ブレーキがかかったまま、終わる。なんだか、カタルシスもない。群像劇ならよかったのだが、これは役所広司主演の映画だった。『仁義なき戦い』とは違う。組織のなかで一匹狼がどう戦うのか、というお話である以上、彼が死んでしまっては、映画はもう成り立たない。

 

この映画の迷走は戦後すぐの混沌とした状況と、昭和の終わりというただの記号との違い、という時代設定の差異も大きい。焼け跡から立ち上がる人々と、平和の反映に埋もれてしまう人々では、背負うものが違いすぎる。役所広司は『シャブ極道』の頃に戻って生き生きして演じているけど、映画自体が絵空事でしかない。空虚なドラマをどれだけ丁寧に作ろうがそこには真実はない。時代のせいだとは言いたくはないけど、そうとしか言いようがない。これだけの力作だけに残念な結果になったのが悔しい。

 


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