習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『エレニの帰郷』

2014-01-29 20:43:12 | 映画
テオ・アンゲロプロス最後の映画である。もう僕たちは新しい彼の映画を見ることはかなわない。事故による死なのだから、これは遺言ではない。しかし、彼の遺した最後の仕事としてこの作品に接すると、これがまるで彼からの遺書のようにも見えてくる。

この映画は彼の見た20世紀という時代の総括だ。そして21世紀に向けてのメッセージとも受け止められる。ヒロインのエレニ(イレーネ・ジャコブ)は、帰るべき家を見失ったかつての恋人であるヨゼフ(ブルーノ・ガンツ)の死の後、静かに息を引き取る。2人のエレニを対比させて20世紀の終わりと、21世紀の始まりを提示したラストシークエンスが素晴らしい。孫娘である少女のエレニが、祖父スピロス(ミッシェル・ピッコリ)に手をひかれて未来へ旅立っていく。祖母エレニの死と孫であるエレニの復活をイコールにして見せたあのシーンを見ながら、アンゲロプロスがこの暗く重い映画のラストでこんなにも明るい可能性を無邪気に指示した事実に衝撃を受ける。彼はこの映画を通してこれから始まる新しい世紀をどうみつめようとしたんだろうか。この先に展開するはずだった彼による21世紀の物語が気になって仕方ない。

これはひとつの時代の終わりと新しい時代の始まりを告げる物語だ。だが、そこには2人のエレニの間で右往左往するばかりのウイレム・デフォー演じる影の薄い主人公がいる。映画監督で、母親を主人公にした映画を作っているはずの彼は、映画のことより、家出した娘のエレニと、アメリカからやってきた母エレニの世話で手一杯。そもそも彼はこの映画の傍観者でしかない。彼が本当の主人公になるドラマはこの先に用意されていたはずなのだ。そのことを思うと、改めてアンゲロプロスの死の重さを感じる。世界で一番偉大な映画監督を我々は失ってしまった。

20世紀後半怒濤の時代を生き抜いたエレニとヤコブ、スピロスを描く過去の物語が、21世紀の今穏やかに最後の時を過ごす3人の時間のなかに往還して描かれる。ふたつの時間は重なり合い、溶け合う。

彼らの話と、両親の離婚により絶望した少女エレニの家出の話もまた交錯するのだが、この大きな物語と、小さな物語の間には差はない。世界をまたにかける壮大な叙事詩と、少女のささやかな放浪の旅は、同じように傷ついた魂の物語なのだ。

いくつもの印象的なシーンがある。映画は説明をしない。ただ、圧倒的な映像を見せる。エレニとヤコブ、スピロスが踊るシーン。デフォーが妻の姿を最後に見るシーン。ブルーノ・ガンツが天使のように翼を広げて自殺していくシーン。ここに描かれた20世紀のハイライト(スターリンの死、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争、ベルリンの壁の崩壊という20世紀後半の歴史的事象)よりも、ずっとそういう彼らの個人的な瞬間のほうが印象に残る。歴史に翻弄されながら、人は自分の人生を生きる。『旅芸人の記録』から一貫してテオ・アンゲロプロスは変わらない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『オンリー・ゴッド』 | トップ | いとうせいこう『存在しない... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。