これはボストンマラソンのゴール付近で起きた爆弾事件によって両足を失った男の戦いの日々を描く人間ドラマだ。最初に彼のキャラクターと現状をしっかり描くから話に入り込みやすい。何度となく、別れては復活するということを繰り返している恋人との関係、彼女がボストンマラソンに出場するから、自分は彼女の応援のためゴール付近で待つ。お話はそこから始まる。
こんな事件があったにもかかわらず、彼が変わることなく、前向きに生きていこうとする姿が、家族、親戚、そして恋人の存在を通して描かれていく。実は無理している。でも、それを隠して強く生きようとする。お話自体は表面的にはこの手のヒューマンドラマとしてはありきたりの轍を踏むが、実はそれだけではない。それが「ボストンよ、強くなれ」というメッセージと相俟って,彼の個人的な問題ではなく、ある種の美談になる。彼のがんばりはボストン市民を勇気つける、とか。テロに負けない、とか。
でも、それが彼にとっては負担にもなる。事件のせいでメディアに露出した。だからみんなが彼を知っているから、彼はみんなの期待に応えなくてはならない。でも、人間はそんなに強くはないから、彼は徐々に追い詰められていくことになる。
無理せず、自分に出来る範囲でいい。やれることしかできない。両足を失っても、それでも生きる。それだけでも、充分な勇気だ。周囲の人たちは彼に注目するが、彼を助けたり、守ったりできるわけではない。傍観者に過ぎない。それはたとえ恋人であっても同じ。暖かい家族や親族に囲まれて、それでも孤独。自分の不幸を冷静に受け止め、生きていこうとする。この映画は、そんな彼をみつめる2時間である。
僕たちはそこからほんの少し生きる勇気をもらう。それは大仰なことではなく、小さなひとりの男が過酷な運命と向き合い、戦う姿を愛おしく思うことだ。あるとんでもない出来事が誰かを襲う。誰もがそこでもがき苦しみ戦う。それは大なり小なり、どこにでもあるドラマだ。だけど、そこには一つの答えがある。そのことをこの映画は教えてくれる。