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映画・演劇のレビュー

大島真寿美『ピエタ』

2012-04-27 22:28:03 | その他
 「よりよく生きよ、むすめたち。よろこびはここにある。」この最後のことばに胸がいっぱいになる。この長編小説を最後まで読んでよかった。

 いつまでたっても話が見えないし、先にも進まないから、なんだかなぁ、と何度も思った。まぁ、僕はせっかち過ぎるのだ。それはわかっているけど、でも、この小説の先の読めなさは半端ではない。ピエタが舞台なのに、ピエタの何を描こうとするのかがわからない。だいたい、最初から、ヴェネツィァにあるこの孤児院(ピエタ慈善院)のことや、そこで暮らす娘たちの話になんかどう反応したらいいのかわからない、と思った。あまりにかけ離れてしまっていて、取り付く島もない。別世界の話だし、遠い昔の話だ。しかも、そこでのお話の世界に引き込まれるのならいいが、そうでもない。彼女たちとの距離を感じる。

 だから正直言うとかなり退屈だった。でも、あきらめて、その悠々たるタッチに身を任せて、主人公である彼女の話に付き合うことにする。そうすると、そのうち、彼女をめぐる人たちのそれぞれのドラマがゆっくりゆっくりと見えてくることとなる。この小説は時間がかかるのだ。でも、やがてその長い時間こそが大事なことだとわかる。

 ヴィヴァルディ先生(あの『四季』のヴィヴァルディである)が彼女たちに教えてくれたこと。音楽とともに生きること。生きていくことは多大な痛みと苦しみを伴う。捨て子として、育ち、音楽と出会い、ここで一生を過ごす。2人のピエタの女。彼女たちのドラマなのか、と思ったが実はそうではない。ではヴィヴァルディが主人公なのか。もちろんそれはない。では、何が描かれるのか?


 先生が残した1枚の楽譜を巡るお話である。だが、その楽譜に秘められた謎を描くのがテーマでもない。これはこの1枚の楽譜を通して奏でられる美しい「音楽」を堪能するための小説なのだ。この楽譜を通して出会うさまざまな人たちのドラマ。ヴィヴァルディ先生の想い。それぞれの想い。そのすべてがひとつになるラストシーンの美しさ。最後まで読んで初めてわかる。これは死んでいく娼婦をめぐるドラマだったのである。

 生きることの喜びがここにはある。つらいことばかりの人生かもしれない。どうして自分だけが、なんて思うこともままある。だが、本当はわかっている。たいへんなのは、自分だけではない。それどころか、自分なんかただ甘えているだけだ、と。でも、毎日の生活の中で何度もくじけそうになる。そんなものなのだ。そんなとき、この小説を読むと、きっといろんなことが見えてくることだろう。

 ここから遠く離れたヴェネツィァでの、遠い昔のお話が、心に沁みてくる。なにもない、と思っていた自分の毎日、そんなふうに思う自分に「そうじゃない」と言ってあげたくなる。長い時間をかけなければ見えてこないものが確かにある。この小説はじつくりと時間をかけて、失われた1枚の楽譜をめぐる数奇な運命を描く。でも、僕は途中から、これが楽譜の話であったこそすら忘れていた。(まぁ、それは僕だけかもしれないが。)


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