「森見登美彦10年目の集大成」という、いかにも、なキャッチフレーズをつけられた最新作。直前に読んだ森見初の対談集『ぐるぐる問答』とセットで刊行された。新刊が待ちどおしかっただけに、ようやくしかも2冊同時で大喜び。
本作は5篇からの短編連作のようなスタイルになっている。ホラータッチの作品でかなり怖い。いつものユーモアは影を潜め、鞍馬の火祭の夜、行方不明になった女性を核にして、10年後、あの日のメンバーと再び鞍馬の火祭を見に行く、というのがお話のアウトライン。主人公の私は、4人のかつての仲間と再会し、彼らから4つの話を聞くことになる。いずれの話にもある画家の絵が登場する。「夜行」という連作である。その日、偶然に彼もまたその画家の絵を見ていた。「夜行」がある画廊で展示されていた。そこは、10年前に失踪した長谷川さん(火祭の夜にいなくなった女性だ)とよく似た女を追いかけて入った画廊である。そんな偶然は、もちろんただの偶然なんかではない。
20歳前後の頃。今思うと、まだ、子供だった。あれから10年。みんなばらばらになり、社会に出て、それぞれの場所で生きている。鞍馬の宿で、酒盛りをしながら、旧交を温める。それぞれの10年。そこにあった不思議な体験を語り合うことになる。尾道、奥飛騨、津軽、天竜狭。4人が話す旅の話に共通して岸田道夫の銅版画連作「夜行」が出てくる。夜行に導かれ、夜の闇を旅する。10年前、長谷川さんはどこに行ってしまったのか。10年間自分たちはどこに行ったのか。そして、自分はこの10年何をしていたのか。10年の閉じ込められた想い。48枚の連作「夜行」。その対面にあるとされる誰も見たことのない「曙光」シリーズ(当然この作品も48枚だろう)。この岸田の2つのシリーズはリバーシブルになっている。闇と光。
火祭の後、みんなと離れてひとりになってしまった彼がたどりつく場所。第5話はこの小説(お話)の謎の解明(到達点)だが、この部分は結末としては少し弱い。作品全体の構造もそれほど複雑ではないし、衝撃のラストも実を言うと、それほどではない。想像の範囲内だ。私と長谷川さんとの関係をもっと書き込んでくれなくては、ものたりない。2つの世界で存在する「生きている岸田」と「死んでいる岸田」。その差は何なのか。画廊の主人は何者か。パラレルワールドに落ち込んだだけ、というのでは単純すぎる。
だが、この小説はSFではなし、大事なことはそこではないことは明白だ。6人それぞれが、目撃した闇の深さ。それこそが大切なのだ。もちろん、誰の闇がより深いとか、そんなことも関係ない。だいたい闇の深さに違いなんかなく、すべての闇はつながっている。絵の中の顔のない女は、背後の闇に彼らを誘う。これは、神隠しに遭う、なんてことが京都でなら当然十分あり得るという話だったりもする。そんな軽さも森見さんらしい。
本作は5篇からの短編連作のようなスタイルになっている。ホラータッチの作品でかなり怖い。いつものユーモアは影を潜め、鞍馬の火祭の夜、行方不明になった女性を核にして、10年後、あの日のメンバーと再び鞍馬の火祭を見に行く、というのがお話のアウトライン。主人公の私は、4人のかつての仲間と再会し、彼らから4つの話を聞くことになる。いずれの話にもある画家の絵が登場する。「夜行」という連作である。その日、偶然に彼もまたその画家の絵を見ていた。「夜行」がある画廊で展示されていた。そこは、10年前に失踪した長谷川さん(火祭の夜にいなくなった女性だ)とよく似た女を追いかけて入った画廊である。そんな偶然は、もちろんただの偶然なんかではない。
20歳前後の頃。今思うと、まだ、子供だった。あれから10年。みんなばらばらになり、社会に出て、それぞれの場所で生きている。鞍馬の宿で、酒盛りをしながら、旧交を温める。それぞれの10年。そこにあった不思議な体験を語り合うことになる。尾道、奥飛騨、津軽、天竜狭。4人が話す旅の話に共通して岸田道夫の銅版画連作「夜行」が出てくる。夜行に導かれ、夜の闇を旅する。10年前、長谷川さんはどこに行ってしまったのか。10年間自分たちはどこに行ったのか。そして、自分はこの10年何をしていたのか。10年の閉じ込められた想い。48枚の連作「夜行」。その対面にあるとされる誰も見たことのない「曙光」シリーズ(当然この作品も48枚だろう)。この岸田の2つのシリーズはリバーシブルになっている。闇と光。
火祭の後、みんなと離れてひとりになってしまった彼がたどりつく場所。第5話はこの小説(お話)の謎の解明(到達点)だが、この部分は結末としては少し弱い。作品全体の構造もそれほど複雑ではないし、衝撃のラストも実を言うと、それほどではない。想像の範囲内だ。私と長谷川さんとの関係をもっと書き込んでくれなくては、ものたりない。2つの世界で存在する「生きている岸田」と「死んでいる岸田」。その差は何なのか。画廊の主人は何者か。パラレルワールドに落ち込んだだけ、というのでは単純すぎる。
だが、この小説はSFではなし、大事なことはそこではないことは明白だ。6人それぞれが、目撃した闇の深さ。それこそが大切なのだ。もちろん、誰の闇がより深いとか、そんなことも関係ない。だいたい闇の深さに違いなんかなく、すべての闇はつながっている。絵の中の顔のない女は、背後の闇に彼らを誘う。これは、神隠しに遭う、なんてことが京都でなら当然十分あり得るという話だったりもする。そんな軽さも森見さんらしい。