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映画・演劇のレビュー

『私をくいとめて』

2021-01-14 21:57:09 | 映画

1人暮らしの31歳、OL女性の日々を描く、なんて書くとそれだけで「なんか、かわいそう」と思ってしまう人は、もうこの映画を見る必要はない。でも、自分らしく生きる彼女の孤独と幸福をそのまま受け止めることができる人にとって、この映画は至福の1本になるはずだ。「みつ子、がんばれ」のメッセージは、僕たちひとりひとりに向けての応援となる。無理せず、ありのままの自分を受け止めて生きていけることって、すばらしい。もちろん、寂しくないとは言い切れない。この先、ひとりでずっと生きていくのかと思うと怖くなる。これから40になっても、50になってもひとりで、もし老いて体の自由が利かなくなった時、どんなふうになるのかと思うと不安になる。だから、誰かと寄り添っていたい、という気持ちも嘘ではない。弱気になるのではなく、正直な気持ちだ。でも、自分が勝ち取った今の幸福を手放したくはないし、この自由のなかで、自分の毎日を楽しもうとすることにも嘘はない。こうして「おひとりさま」の気楽さを満喫出来るのも、自分が手にした権利だ。

 

でも、さみしさは拭えない。2歳年下の男の子を好きになり、彼も彼女が好きで、付き合うことになるラストを単純に恋愛成就で、ハッピーエンドと受け止める人は誰もいまい。もちろん、「よかったね」と思うけど、恋人が出来たからよかった、ではなく、これは、自分の生き方を曲げないけど、恋人がいても大丈夫、という意味でのよかったね、である。

 

みつ子の怒りは自由に生きる彼女を脅かす世間の目に向けられる。それはたとえば、最初に書いた「かわいそう」であろう。恋愛、結婚がハッピーエンドになる従来のラブストーリーとは違って、これは僕らがまず、ひとりの人間としてどう生きるのかが描かれる青春映画なのである。

 

自分の中のもうひとりの自分(Aと名付けられる。アンサーのAらしい)との対話は、もちろん、彼女の内的な葛藤ではあるけれど、自分に問いかけることにより、前進していく姿に見える。だから、最後で実態を伴ったAが登場するシーンには笑いながらも(だって前野朋哉である!)そんなちょっと間抜けな自分が愛おしい。みつ子を演じるのんは1人芝居を中心にして目に見える形で自分の内面をしっかり表現している。とてもうまい。正しい答えなんてわからないけど、しっかり頑張っているみつ子を見ることで僕たちも彼女のように頑張れたら、と素直に思える。こんなにも素敵な映画はなかなかない。


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