去年の夏以来、久々に金蘭の芝居を見ることが出来たのがうれしい。しかも、これだけの大作だ。難しい題材に取り組んで、確かな成果をあげるのは、彼女たちの得意技で、敵が(台本ね)手強ければ、手強いほど、彼女たちは燃える。それって、きっと顧問の山本先生の指導であり、彼の姿勢なのだろう。作品を自分たちのスタイル(土俵)へと引き寄せて、解釈(咀嚼)していく。しかも、それが、とても素直で謙虚。そこが、彼女たちの何とも言えない魅力なのだ。
山姥と、彼女の子供であるやまとを軸にして、お話は、村のさまざまな問題も根底に孕んで、やまとが成長していく姿を描いていく。ともに暮らすことのできない(住む世界が違う)ふたりが、お互いをわかりあえることもなく、(やまとは山姥が自分の母親だとは知らない)表面的には対立することになる。村の掟やしきたりに縛られながら、長として生きることを強いられるやまと。彼は育ての親である村長と、山姥の間で、自分の立ち位置を決めかねる。自分の弱さを何とかして跳ね返したい。だが、そうもいかないのが、人間だ。そんな彼を山姥は自分を犠牲にしても守り抜く。それは親として、当然の行為かもしれないが、人間界の存在ではない彼女がなぜ、そこまで彼にするのか、周囲は理解できない。
この象徴的なお話を、壮大なスケールで神話的なドラマとして見せていく。しかも、80分の作品だ。無駄なく、コンパクトにまとめ、でも、迫力のある劇に仕立てる。その見せ方は内容も含めて、とても、適切で心地よい。いい意味で高校生らしい芝居だった、と思う。本当に気持ちのいい舞台だったのが、うれしい。
山姥と、彼女の子供であるやまとを軸にして、お話は、村のさまざまな問題も根底に孕んで、やまとが成長していく姿を描いていく。ともに暮らすことのできない(住む世界が違う)ふたりが、お互いをわかりあえることもなく、(やまとは山姥が自分の母親だとは知らない)表面的には対立することになる。村の掟やしきたりに縛られながら、長として生きることを強いられるやまと。彼は育ての親である村長と、山姥の間で、自分の立ち位置を決めかねる。自分の弱さを何とかして跳ね返したい。だが、そうもいかないのが、人間だ。そんな彼を山姥は自分を犠牲にしても守り抜く。それは親として、当然の行為かもしれないが、人間界の存在ではない彼女がなぜ、そこまで彼にするのか、周囲は理解できない。
この象徴的なお話を、壮大なスケールで神話的なドラマとして見せていく。しかも、80分の作品だ。無駄なく、コンパクトにまとめ、でも、迫力のある劇に仕立てる。その見せ方は内容も含めて、とても、適切で心地よい。いい意味で高校生らしい芝居だった、と思う。本当に気持ちのいい舞台だったのが、うれしい。