コロナ禍で公演が困難な状況下、それでも芝居がしたいという思いを持つ人たちはそこここにいるのは当然のことだろう。というか、みんな芝居が好きだから、こんな状況で芝居から離れて、イライラしている。シニア演劇大学が、この小さな公演を確かに挙行したことを心から嬉しく思う。吉田先生が35年前に牧野高校で上演した作品を高校生からシニア世代へとバトンを渡し、再演した。しかも、今回はリーディング公演である。それは安易な選択を意味しない。現状を踏まえて、最善の作としての演劇公演を目指した結果の選択だ。
1時間の作品を途中休憩(喚起作業)5分(アナウンスは10分と言ってたけど、)挟んで65分で上演した。40分、20分である。集中が途切れるわけではない。反対にこの休憩が効果的だ。クライマックスを独立したものとして提示できた。シニア世代の役者たちはとても誠実に自分たちの役を演じる。正面をしっかり向いてのその一直線な芝居はなんだか気持ちがいい。いい意味での子どものお遊戯のようだ。素直で正直。結果的に見事に宮澤賢治の世界を体現した。よだかとコロスたちのやりとりを見守りながら、クライマックスに向けて、静かに加速していく劇構成が効果的。
リーディング公演と言いつつも、ほとんどテキストを手放しているのもいい。テキストを持とうが手放そうが構わない自由さ。完璧な芝居を目指すのではなく、未完成でもいい、というくらいのスタンスで,演じる。だが、それは手抜きを意味しない。それぞれがそれぞれのベストを尽くす。芝居と関わりたいという熱い想いは伝わる。上手い下手は問題ではなく大事なことは熱意があるか否かだ。そしてこのステージに立つ役者たちにはみんなそれがある。高校の演劇部で長年指導されてきた吉田先生の暖かいまなざしが充溢する。そんな優しい芝居になった。この小さな芝居を見ながら、なんだか胸一杯になる。