ジャンヌ・モローが頑なな老女を演じる。金持ちだけど、身寄りもなく、一人ぼっちなのに、人を拒否する。憐れまれるのはいや。人を見下すのは、プライドの高さだけではなく、拒絶されるのが怖いからかもしれない。そんな彼女のもとに家政婦としてやってきた中年女性。エストニアからパリに出てきた。老人ホームで働いていたが、仕事を辞めて2年間老いた母親の介護をして、看取った。一人になった彼女が、そんなわがままな寝たきりの老女の世話をする。最初から拒絶される。だが、彼女はあきらめない。やがて、彼女の信頼を勝ち取る。
お決まりのパターンなのだが、思いのほかさらっとした映画で、95分という上映時間とも相俟って、あっさりして後味はいい。でも、少し物足りない気分なのも事実だ。お話は反発しあいながらも徐々に心を開いていく、というパターンでまるで捻りはない。でも、それを主人公2人のたたずまい、ただそれだけで見せきるのだ。
映画の背景となるパリの風景が素晴らしい。エストニアからあこがれのパリにやってきて、仕事の後、夜のパリを散歩する彼女の姿を見ていると、なんだか、幸せな気分になる。特別なドラマはない。高揚する気分を見せるのでもない。なんてことないことだ。ただ、歩く。それだけ。でも、雪に閉ざされた田舎町から、花の都にやってきた、ただそれだけで彼女の心はウキウキする。
普段はそんな感情は封印して、高慢な主人に仕えるだけだが、今までの世界から新しい世界にやってきて、自由を満喫しているのだ。やがて、2人は少しずつ心を交わしあうのだが、でも、なかなか簡単にはいかない。良かれと思ってやったことが仇になる。
同じようにエストニアからやってきて、苦難の人生を歩んできた彼女の頑なな心を何とかして溶かしたいと思う。理解する。わかりあう。それだけのことを、映画はさらりと見せていく。主人公の2人がすばらしい。ただ、それだけで、この映画は成立する。母親と娘のような年齢の2人が、主人と家政婦という関係から、家族へと変わっていく姿を、メルヘンタッチの甘い映画として見せるのではなく、まるでドキュメンタリーのように見せていく。その時、静かなたたずまいの2人の内面を滲みださせるさりげない描写が映画を形作る。なんでもないから、心に沁みる。そんな映画だ。
お決まりのパターンなのだが、思いのほかさらっとした映画で、95分という上映時間とも相俟って、あっさりして後味はいい。でも、少し物足りない気分なのも事実だ。お話は反発しあいながらも徐々に心を開いていく、というパターンでまるで捻りはない。でも、それを主人公2人のたたずまい、ただそれだけで見せきるのだ。
映画の背景となるパリの風景が素晴らしい。エストニアからあこがれのパリにやってきて、仕事の後、夜のパリを散歩する彼女の姿を見ていると、なんだか、幸せな気分になる。特別なドラマはない。高揚する気分を見せるのでもない。なんてことないことだ。ただ、歩く。それだけ。でも、雪に閉ざされた田舎町から、花の都にやってきた、ただそれだけで彼女の心はウキウキする。
普段はそんな感情は封印して、高慢な主人に仕えるだけだが、今までの世界から新しい世界にやってきて、自由を満喫しているのだ。やがて、2人は少しずつ心を交わしあうのだが、でも、なかなか簡単にはいかない。良かれと思ってやったことが仇になる。
同じようにエストニアからやってきて、苦難の人生を歩んできた彼女の頑なな心を何とかして溶かしたいと思う。理解する。わかりあう。それだけのことを、映画はさらりと見せていく。主人公の2人がすばらしい。ただ、それだけで、この映画は成立する。母親と娘のような年齢の2人が、主人と家政婦という関係から、家族へと変わっていく姿を、メルヘンタッチの甘い映画として見せるのではなく、まるでドキュメンタリーのように見せていく。その時、静かなたたずまいの2人の内面を滲みださせるさりげない描写が映画を形作る。なんでもないから、心に沁みる。そんな映画だ。