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映画・演劇のレビュー

小路幸也『残される者たちへ』

2009-07-13 22:30:37 | その他
 いったいどんな話になるのだろうかと、結構楽しみにしながら読んでいたのだが、途中からただのSFになってしまいがっかりだ。別にSFを差別するのではない。良質のSFはSFを感じさせないのだが、この小説はそうじゃなかった、というだけのことだ。小路幸也が『東京バンドワゴン』とはまるでタッチの違う作品を書いたということは興味深いのだが、着地地点を見誤ったのではないか。安易な展開はせっかくの設定を殺すことになる。

 廃墟と化す団地を舞台にして、ここに今も住む住人と、ここを出て行った者たちが同窓会で再会するところから話は始まる。なぜか記憶から削除されていた友人。かって同じ棟に住み、仲良しだったクラスメートなのに。記憶の片隅にすら残っていないなんてことは普通ない。忘れてしまったというのではない。なぜ、そんなことが生じたのか。

 昔はニュータウンだった団地が、今では老人が目立ち、空き部屋ばかりになっている。くすんだ忘れられた場所。ここで何かが起きている。そのなぞを解明していくのだが、いくらなんでも宇宙人とか、ないだろ。人間と共生してきた「何者か」。彼らは平和的にここに溶け込み暮らしてきた。だが、ここでのバランスが崩れてきたことで、彼らは生きていけなくなる。

 だいたいこの説定自体は悪くないはずなのだ。なのに、それを辻褄合わせで説明したところからおかしくなる。団地がその役割を終えて、消えていく。それだけでいいではないか。なのに、こんなつまらないお話で、この小説が描こうとした《寂しさ》が意味を成さなくなる。高度成長期に建てられ、みんなから羨望の目で見られた団地が、消えていこうとする。その姿を通して20世紀から21世紀へと時代が変わるさまを捉える。その中で大切な何かが損なわれていく。

 団地であること。そこで生きること。彼らが共同体として過ごした歴史が、今終わりを告げる。そのときこの団地とともに生き、死んでいこうとする老人たちは何を感じるのか。描くべきことはそこに尽きる。

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