ハリウッド大作『ブラザーズグリム』と併行して撮られた『ローズ・イン・タイドランド』はとても小さな作品だが、傷心のテリー・ギリアムが自分ひとりの趣味の世界に引き籠って作った、とてもチャーミングで残酷な寓話だ。
幻の大作『ドンキホーテ』の顛末はドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラマンチャ』の中で、ほんの少し垣間見ることが出来るが、あの痛手から7年。ようやく立ち直りもう一度作家活動を再開した彼の復帰第1作『ブラザーズグリム』はただのハリウッド映画にすぎず、ギリアムの色がまるで感じられない凡作だった。しかし、ああいうリハビリも必要だったのだろう。先に進むためには。
『ブラザーズグリム』のポスプロを利用して撮ったといわれる本作も、必ずしも彼らしい作品とはいえまい。アリスを題材に、ドラック漬けになった両親のもとで暮らしていたローズという少女が、彼らが死に、たった一人になった中で、そのことすら意識せず、妄想の中で暮らす日々が描かれていく。死んでしまった祖母の残してくれた広々とした草原の家を舞台にセルロイド人形を友だちにして(首をもいで指人形にしている)、死者と暮らすローズの不思議の国での日々が、美しい自然と、奇妙な人々との交流の中で描かれる。
ギリアムはここで何か特別なことを描くつもりはなかったみたいだ。自分の好きなことを、今の自分でコントロールできるスケールで、何の妥協もなく撮る。そんな幸せな映画である。でもこれが、あの『未来世紀ブラジル』や『フィッシャーキング』を撮った巨匠の本来の仕事とは思いたくない。もう一度、自分にも制御不可能な大作に挑むテリー・ギリアムに逢いたい。
一月は上記の映画のほか、9本しかDVDで見てなかった。見逃していたオゾンの『ぼくを葬る』が見れたのは嬉しい。何の仕掛けもないオゾンの映画なんて初めてではないか。誰かがオゾンもネタ切れか、なんて失礼なことを書いていたが、敢えてこういう風に作ってあるのは見たら分かるはず。
金田敬のデビュー作『青いうた』はほんとに不思議な映画だった。いったい何時の時代?と思わせるくらいに、時間の止まった世界での話。普通の青春映画なのだ。なのに今とは思えないドラマが描かれ、それが時代錯誤と笑い飛ばせない真摯さ。井筒和幸『のど自慢』の姉妹編ということで、全編に懐かしい歌謡曲が流れ、ラストは同じようにNHKの「のど自慢」の収録のシーンになるのだが、テーマは4人の少年少女の友情物語。「ケセラセラ」がこんなにも若いこの子たちに似合うなんて変だが、それが素敵に見える映画。
『ターネーション』はちょっと痛すぎた。こういう個人的なドキュメンタリーが劇場に平気でかかる時代になった。これは自分の日記に書くべきものではないか。独りよがりすれすれでセーフって感じ。
『イノセント・ボイス 12歳の戦場』も別の意味で痛かった。こういう映画はたくさんあるが、とても誠実に、暖かいまなざしで撮られてありルイス・マンドーキらしい作品で好感が持てる。
がっかりしたのは『やわらかい生活』の広木隆一監督の新作『恋する日曜日』。4人の高校生を主人公にした瑞々しい青春映画、なんて広木監督に撮って欲しくない。百歩譲ってそれでも、こんなに甘くもなく、どうでもいい映画はないと思う。彼が何に拘ったのかまるで分からない。
1月の《とんでも映画》は『テニスの王子様』。このあほ映画には参った。どうみても20代にしか見えない大人が中学生を演じてる。高校生役だと思ってたが、それでも老けた高校生!と思って見てた。それが、なんと中学生かよ。あきれて椅子から落ちた。今時こんなものが子供たちに人気なんだね。中学生は車を運転したらあかんよ。花形満じゃあないんだから。それに魔球は鮎原こずえや、バンババン(馬場番だっけ)だけにしてね。
幻の大作『ドンキホーテ』の顛末はドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラマンチャ』の中で、ほんの少し垣間見ることが出来るが、あの痛手から7年。ようやく立ち直りもう一度作家活動を再開した彼の復帰第1作『ブラザーズグリム』はただのハリウッド映画にすぎず、ギリアムの色がまるで感じられない凡作だった。しかし、ああいうリハビリも必要だったのだろう。先に進むためには。
『ブラザーズグリム』のポスプロを利用して撮ったといわれる本作も、必ずしも彼らしい作品とはいえまい。アリスを題材に、ドラック漬けになった両親のもとで暮らしていたローズという少女が、彼らが死に、たった一人になった中で、そのことすら意識せず、妄想の中で暮らす日々が描かれていく。死んでしまった祖母の残してくれた広々とした草原の家を舞台にセルロイド人形を友だちにして(首をもいで指人形にしている)、死者と暮らすローズの不思議の国での日々が、美しい自然と、奇妙な人々との交流の中で描かれる。
ギリアムはここで何か特別なことを描くつもりはなかったみたいだ。自分の好きなことを、今の自分でコントロールできるスケールで、何の妥協もなく撮る。そんな幸せな映画である。でもこれが、あの『未来世紀ブラジル』や『フィッシャーキング』を撮った巨匠の本来の仕事とは思いたくない。もう一度、自分にも制御不可能な大作に挑むテリー・ギリアムに逢いたい。
一月は上記の映画のほか、9本しかDVDで見てなかった。見逃していたオゾンの『ぼくを葬る』が見れたのは嬉しい。何の仕掛けもないオゾンの映画なんて初めてではないか。誰かがオゾンもネタ切れか、なんて失礼なことを書いていたが、敢えてこういう風に作ってあるのは見たら分かるはず。
金田敬のデビュー作『青いうた』はほんとに不思議な映画だった。いったい何時の時代?と思わせるくらいに、時間の止まった世界での話。普通の青春映画なのだ。なのに今とは思えないドラマが描かれ、それが時代錯誤と笑い飛ばせない真摯さ。井筒和幸『のど自慢』の姉妹編ということで、全編に懐かしい歌謡曲が流れ、ラストは同じようにNHKの「のど自慢」の収録のシーンになるのだが、テーマは4人の少年少女の友情物語。「ケセラセラ」がこんなにも若いこの子たちに似合うなんて変だが、それが素敵に見える映画。
『ターネーション』はちょっと痛すぎた。こういう個人的なドキュメンタリーが劇場に平気でかかる時代になった。これは自分の日記に書くべきものではないか。独りよがりすれすれでセーフって感じ。
『イノセント・ボイス 12歳の戦場』も別の意味で痛かった。こういう映画はたくさんあるが、とても誠実に、暖かいまなざしで撮られてありルイス・マンドーキらしい作品で好感が持てる。
がっかりしたのは『やわらかい生活』の広木隆一監督の新作『恋する日曜日』。4人の高校生を主人公にした瑞々しい青春映画、なんて広木監督に撮って欲しくない。百歩譲ってそれでも、こんなに甘くもなく、どうでもいい映画はないと思う。彼が何に拘ったのかまるで分からない。
1月の《とんでも映画》は『テニスの王子様』。このあほ映画には参った。どうみても20代にしか見えない大人が中学生を演じてる。高校生役だと思ってたが、それでも老けた高校生!と思って見てた。それが、なんと中学生かよ。あきれて椅子から落ちた。今時こんなものが子供たちに人気なんだね。中学生は車を運転したらあかんよ。花形満じゃあないんだから。それに魔球は鮎原こずえや、バンババン(馬場番だっけ)だけにしてね。