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映画・演劇のレビュー

新宿梁山泊『ベンガルの虎』

2011-10-04 23:17:11 | 演劇
 3幕3時間の大作である。これぞ、唐十郎! という傑作だ。久々に本物の芝居を見た、という快感がある。この長い芝居には、全く無駄がない。贅肉を削ぎ落としての3時間である。最初から最後まで完璧に作られてある。隅々にまで気配りがちゃんとなされてあり、10分しかない幕間の転換も見事だ。とてもよく考えられている。パワーシャベルを使ったラストシーンのスペクタクルもこうでなくてはならない、とうなずける。黄色いそれは猛り狂うベンガルの虎そのものだ。

 芝居には熱があり、勢いがある。一瞬たりともだれることはない。役者のひとりひとりが生き生きしている。仕掛けのひとつひとつがよく考えられている。舞台美術にも無駄がない。衣装の早変わりとか、細かいことまで目が行き届いている。そのひとつひとつは芝居の本質とは関係ないことかもしれないが、そこで手を抜くと全体が嘘になる。だから一切妥協はない。見事に計算され尽くされてあるから気持ちがいい。これが黄金期のテント芝居だ。台本は今から30年以上前のものだが、まるで古くはない。それどころか、とても新鮮だ。ちょうど僕が状況劇場の芝居を見始めた頃、今は亡き天王寺野外音楽堂で毎年見た紅テントの作品群が孕み持っていた熱気が甦る。だが、これをなつかしい芝居だ、というわけではない。これはノスタルジアではなく、今の時代の息吹が感じられる芝居だ。斬新なことをしているということではない。ひとつひとつ丁寧に手作りで芝居を組み立てる。その積み重ねが結果的に心を打つのだ。

『ビルマの竪琴』のラスト、死んだ戦友たちを弔うためビルマに留まったはずの水嶋上等兵が、実は日本に戻ってきていて、商社マンとして、ビルマから戦死者の骨を日本に輸出して、それで白骨から判子を作って販売している。このあり得ないような現実を目の前にして、そこから芝居は始まる。

 戦死した兵士たちだけではなく、からゆきさんとして異国で骨を埋めた女たち、そんなたくさんの名もない人々の無念へと思いをはせる。死者たちを弔うことで、生きる力を胸に抱き続けた水嶋の想いが、彼の帰りを待ち続けた妻の想いにつながり、行李に入って日本へ帰ってきた彼らの娘へとつながっていく。ビルマ、日本を繋いで、壮大なロマンが駆け抜けていく。有無を言わさぬ作り手の熱い想いが、ビンビン伝わってくる。これが芝居だと思う。これが芝居の力だ。僕たちがなぜ芝居に魅了されるのか、その秘密の答えはここにある。これは理屈ではない。

 写真は芝居のラストシーン。これだけ盛大に水を使うのも凄い。話自身はいつものことで、なんだか分からない部分も多々ある。なのに、それが嫌ではない。そんなことどうでもいいことなのだ。ただひたすら圧倒される。それだけで十分なのだ。最近はそんなふうに芝居を見て思えることがなかった。久しぶりに心からおもしろいと思える芝居に出会えた。とても幸福な気分だ。


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