こういう科学者ものは苦手だ。描かれることが自分には全くわからない世界だから。なんだか凄いことだ、とは思うが、チンプンカンプンだ。だが、それを映画としてわかりやすく見せられると、ふむふむと納得できる。凄いと思う。とは言え、本当は何もわかっていないのだが。
こういうことを仕事にしている人がこの世の中にはいるのだ。ここに出てくる人たちは、みんな頑固で偏屈で科学者というよりもなんか昔の職人さんみたいだ。映画はわざとそういう造型をしているのだが、それがなんだかリアリティーがあるし、親しみやすい。この前『下町ロケット』を読んで、あの時も凄いよな、と感じたけど、あの感じと今回もよく似ている。最先端技術の現場なのに、なぜかとてもアナクロな感じ。
これは堤幸彦監督作品だから、とてもわかりやすくて、感動的に作られてある。難しい技術の説明とかもあるのだが、それも含めて全体がエンタテインメントとして、しっかり出来ている。しかし、冷静に考えるまでもなく、このお話でエンタメにするのは普通じゃない。無理やろ、と思う。はやぶさの帰還という事実は感動かもしれないが、そこまでの過程を追うことで感動のドラマを作るのは簡単そうに見えて実はかなりの困難を伴う。映画にするには話自体があまりに地味で、単調すぎるのだ。はやぶさを巡るさまざまなトラブルが描かれていくのだが、スクリーンには地上にいておろおろするスタッフの姿が描かれるばかりで、それだけでは映画としてはエキサイティングにはならない。もちろん宇宙空間をさすらうはやぶさの姿も描かれるけど、それだって、エンジントラブルとかで、映像としての興奮はない。敵のエイリアンが攻めてきたり、それと戦うとか、そんなのは、まるでない。まぁ、これは荒唐無稽なSF映画ではないのだから。
とはいえ、人間ドラマとして、緻密に作られてあるのか、というと、それもそれほどではない。というか、かなりいいかげんなのだ。変人集団である宇宙研の人たちは、一途な夢を追いかけるロマンチストとして描かれる。しかも、彼らがいつもみんな集まってわいわい言うとこなんか、これって、サッカーのサポーターかなんかみたいだ。みんなではやぶさの応援をしながら、熱くなっている感じ。
主人公の竹内結子は、科学者としてはやぶさに関わるのだが、彼女のがんばりも学者としてのそれではなく、体育会系のノリで、わかりやすくするための方法だろうが、あまりに単純すぎて、こんなんでいいのかと、少し心配になる。
こういうことを仕事にしている人がこの世の中にはいるのだ。ここに出てくる人たちは、みんな頑固で偏屈で科学者というよりもなんか昔の職人さんみたいだ。映画はわざとそういう造型をしているのだが、それがなんだかリアリティーがあるし、親しみやすい。この前『下町ロケット』を読んで、あの時も凄いよな、と感じたけど、あの感じと今回もよく似ている。最先端技術の現場なのに、なぜかとてもアナクロな感じ。
これは堤幸彦監督作品だから、とてもわかりやすくて、感動的に作られてある。難しい技術の説明とかもあるのだが、それも含めて全体がエンタテインメントとして、しっかり出来ている。しかし、冷静に考えるまでもなく、このお話でエンタメにするのは普通じゃない。無理やろ、と思う。はやぶさの帰還という事実は感動かもしれないが、そこまでの過程を追うことで感動のドラマを作るのは簡単そうに見えて実はかなりの困難を伴う。映画にするには話自体があまりに地味で、単調すぎるのだ。はやぶさを巡るさまざまなトラブルが描かれていくのだが、スクリーンには地上にいておろおろするスタッフの姿が描かれるばかりで、それだけでは映画としてはエキサイティングにはならない。もちろん宇宙空間をさすらうはやぶさの姿も描かれるけど、それだって、エンジントラブルとかで、映像としての興奮はない。敵のエイリアンが攻めてきたり、それと戦うとか、そんなのは、まるでない。まぁ、これは荒唐無稽なSF映画ではないのだから。
とはいえ、人間ドラマとして、緻密に作られてあるのか、というと、それもそれほどではない。というか、かなりいいかげんなのだ。変人集団である宇宙研の人たちは、一途な夢を追いかけるロマンチストとして描かれる。しかも、彼らがいつもみんな集まってわいわい言うとこなんか、これって、サッカーのサポーターかなんかみたいだ。みんなではやぶさの応援をしながら、熱くなっている感じ。
主人公の竹内結子は、科学者としてはやぶさに関わるのだが、彼女のがんばりも学者としてのそれではなく、体育会系のノリで、わかりやすくするための方法だろうが、あまりに単純すぎて、こんなんでいいのかと、少し心配になる。